尾形乾山(読み)おがたけんざん

精選版 日本国語大辞典 「尾形乾山」の意味・読み・例文・類語

おがた‐けんざん【尾形乾山】

江戸中期の陶工、画家。光琳の実弟。名は惟允。通称は新三郎、権平。別号に紫翠、尚古、習静堂など。京都の人。陶芸は野々村仁清の影響を受け、絵は光琳に学んだ。いわゆる乾山風の佳作を多くのこし、とくに「八ツ橋」「花籠図」は有名。晩年、江戸の下谷村に窯を開いた。ほかに下野の佐野に開窯した、いわゆる佐野乾山のことが伝えられている。寛文三~寛保三年(一六六三‐一七四三

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デジタル大辞泉 「尾形乾山」の意味・読み・例文・類語

おがた‐けんざん〔をがた‐〕【尾形乾山】

[1663~1743]江戸中期の陶工・画家。京都の人。光琳こうりんの弟。陶法を野々村仁清に学び、京都で鳴滝窯を開き、晩年は江戸入谷に窯を築いた。絵画は「八ツ橋図」「花籠図」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「尾形乾山」の意味・わかりやすい解説

尾形乾山 (おがたけんざん)
生没年:1663-1743(寛文3-寛保3)

江戸中期の京焼の陶工,画家。幼名権平,後に深省と改め,諱(いみな)は惟允。習静堂,紫翠,逃禅,乾山,尚古斎,陶隠などと号した。呉服商雁金屋宗謙の三男で,次兄に尾形光琳がいる。若年から学問を好み,光悦の孫空中斎光甫や楽一入に陶法の手ほどきを受け,1689年(元禄2)洛西双ヶ岡に習静堂を建てて隠棲した。近くにあった御室焼の陶工野々村仁清から本格的な陶法を学び,99年仁清の嫡男清右衛門から仁清の陶法伝書を受け,旧二条家山屋敷を拝領して鳴滝泉谷に乾山窯を興して陶工としての生活をはじめた。開窯当初より兄光琳が絵付けや意匠面で協力し,成形,施釉などは押小路(おしこうじ)焼の陶工孫兵衛が担当した。乾山は仁清窯の陶法に押小路焼の交趾(こうち)釉法などを加え〈乾山一流の法〉を案出した。とくに陶胎に白化粧を施して銹絵(さびえ)や染付で絵付けし,釉下(ゆした)着彩の色絵を用いるなど,陶器によりいっそうの絵画性を与える独特の陶法をはじめ,従来の京焼に新風を吹き込んだ。光琳の絵付け,乾山の詩賛のある銹絵黄山谷観鷗図角皿や銹絵芦鶴図角皿,また〈元禄年製〉銘のある釉下着彩の色絵切紙文四方皿などがこの期の代表作である。その後1712年(正徳2)泉谷から洛中の二条丁字屋町へ移り,粟田口や五条坂の窯を借りて懐石道具などを量産し,〈乾山焼〉と称して手広く販売し,洛中の人気を集めた。しかし享保(1716-36)のころ江戸に下向し,寛永寺領入谷で窯を開き,37年(元文2)には下野(しもつけ)(栃木県)佐野に招かれて作陶した。また同年《陶工必用》(江戸伝書),《陶磁製方》(佐野伝書)の2冊の陶法伝書を著している。
執筆者: 関東時代の乾山は,作陶と並んで絵画制作に精力を注いだ。現在のこる乾山の絵画作品は,すべてこの時代のものとみなされる。その特質は,兄光琳の画風を基礎としつつ,それをしみじみとした情趣で包み,さらに個性的な書体による自賛と融合させた点にある。代表作に《花籠図》(福岡市美術館),《立葵図屛風》《十二ヵ月和歌花鳥図》などがある。乾山の画風は弟子の立林何帠(たてばやしかげい)に伝えられ,琳派の画風が江戸へ普及するもととなった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾形乾山」の意味・わかりやすい解説

尾形乾山
おがたけんざん
(1663―1743)

江戸中期の陶芸家、画師。京都屈指の呉服商雁金屋(かりがねや)尾形家の三男として生まれる。名は深省。権平、惟允とも称した。尾形光琳(こうりん)は彼の次兄である。富裕な商家に育ちながら2人とも商人にはならず、もっぱら文化的な素養を身につけ、自由な生活を楽しんだ。1689年(元禄2)27歳のとき乾山は洛西(らくせい)双ヶ岡(ならびがおか)に習静堂という一書屋を構えて文人生活に入っている。近くに高名な野々村仁清(ののむらにんせい)が活躍する御室(おむろ)焼があり、この窯に遊ぶうちに陶工になる決意を固め、99年に2代仁清より陶法の秘伝を受け、近くの鳴滝泉谷(なるたきいずみだに)に窯を築いて本格的な製陶生活に入った。この窯が京都の乾(いぬい)の方角にあたるため「乾山」を窯の名につけ、その製品の商標、さらに彼自身も雅号に用いている。乾山は仁清に技術を学びながら、その様式を継承することをせず、兄光琳の創始した琳派(りんぱ)とよばれる復興大和絵(やまとえ)の画風をみごとに意匠化することに成功し、一家をなすことができた。白化粧地に鉄絵や染付を使って表す装飾画風はまことに雅趣に満ち、瀟洒(しょうしゃ)な作風は個性に輝いており、製品には師のかわりに「乾山」と筆で自署するのも画師と同じ芸術家意識を表している。

 1712年(正徳2)に鳴滝から市中の二条丁字尾町に窯を移した時期から、彼の作陶は第2期に入るが、16年(享保1)に絵付に参画した光琳が死亡したころは、陶業は不振をきたしたといえる。しかし彼の遺品をみると、得意とする白化粧地鉄絵、染付のほか、色絵にも新機軸を生み出し、中国、朝鮮、オランダの陶芸を模倣し、京都では初めて磁器を焼出するなど、彼ほど新技術の進取に取り組んだ陶工も少ない。その意欲的な精神は75歳の37年(元文2)に著した『陶工必用』に横溢(おういつ)している。享保(きょうほう)(1716~36)の中ごろに江戸に赴き、晩年はこの地で送り、寛保(かんぽう)3年6月2日、81歳で没したが、晩境にあっては絵画に名作を多く残し、「京兆」「平安城」を冠称して「紫翠(しすい)深省」と自署し、自ら京都文化の保持者であることを誇示した。

[矢部良明]

『佐藤雅彦編『日本陶磁全集28 乾山 古清水』(1975・中央公論社)』

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朝日日本歴史人物事典 「尾形乾山」の解説

尾形乾山

没年:寛保3.6.2(1743.7.22)
生年:寛文3(1663)
野々村仁清と並ぶ江戸中期の京焼の代表的名工,画家。江戸大奥や東福門院などの御用を勤めた京都第一流の呉服商雁金屋尾形宗謙の3男。次兄には尾形光琳がいる。曾祖父道柏の妻は本阿弥光悦の姉で,祖父宗柏が鷹ケ峯の光悦村に居を構えていたように,光悦との繋がりも強い。初名は権平,のちに深省と改名,諱は惟允,扶陸とも称し,習静堂,尚古斎,陶隠,霊海,逃禅,紫翠,伝陸などと号した。乾山はもと京都鳴滝泉谷に開いた窯名であるがのちに号としても用いた。本阿弥光甫から光悦以来の楽焼の陶技を伝授されたとの伝えもあるが(佐原鞠塢『梅屋日記』),元禄2(1689)年,洛北御室仁和寺の門前双ケ岡の麓に居を構え習静堂と号し,このころから御室窯にいた野々村仁清のもとで陶技を学んだ。元禄12年8月に2代仁清から正式に陶法を伝授され,二条家から拝領した鳴滝泉谷に居を移し尚古斎と号し,仁和寺からの許可を得て窯を開き,この地が京都の西北,乾の方角に位置するところから作品に「乾山」の銘を記した。 乾山窯には押小路焼の陶工孫兵衛が細工人として参加しており,押小路焼の交趾釉法と仁清伝授の釉法とを合わせながら,白化粧と釉下色絵などに代表される乾山窯独特の釉法が確立されていった。作品は「最初之絵ハ皆々光琳自筆」(『陶磁製方』)とあるように兄光琳が絵付し,乾山が作陶と画賛をする合作が主体で,この時代の作品が鳴滝乾山と呼ばれる。正徳2(1712)年洛中の二条丁字屋町に移り,窯は共同窯を使い,独自の意匠による食器類を作り出し,乾山焼の名は広く知られるようになった。享保年間(1716~36)のなかごろには江戸へ下向し,輪王寺宮公寛法親王の知遇を得て入谷に住み作陶を行い,この時期の作品は入谷乾山と呼ばれる。元文2(1737)年には下野国(栃木県)佐野に招かれて作陶を行い,この時期の作品は佐野乾山と呼ばれる。関東時代には絵画制作にも力を注ぎ,また,元文2年,江戸で『陶工必用』,佐野で『陶磁製方』というふたつの陶法伝書を著している。<参考文献>小林太市郎『乾山』,五島美術館『乾山の陶芸 図録編』

(伊藤嘉章)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾形乾山」の意味・わかりやすい解説

尾形乾山
おがたけんざん

[生]寛文3(1663).京都
[没]寛保3(1743).6.2. 江戸
江戸時代中期の陶工,画家。富裕な呉服商の3男で尾形光琳の弟。通称は権平,のちに深省。号は陶芸では乾山,陶隠,尚古斎,絵画では紫翠,習静堂。若年より和漢の教養を積んで禅を修め,27歳で仁和寺門前の山荘に隠棲。山荘の近くに窯があった野々村仁清に陶法を学び,元禄 12 (1699) 年鳴滝に窯を開き「乾山焼」として知られた。光琳との合作で優品を生んだが,正徳2 (1712) 年に経営難の鳴滝窯を閉じて,京都二条丁字屋町に移り,聖護院門前に窯を築く。以後 20年近く同所で経済的に苦しい製陶生活を続け,享保 16 (31) 年江戸に移住,入谷に窯を設ける。元文2 (37) 年下野国佐野に行き,ここで数百点を製陶,作品は「佐野乾山」と呼称される。翌春江戸に帰り5年後に没した。作品は懐石用の食器を中心に楽焼,陶器,磁器を作り,磁器は京焼の最初である。装飾手法には白絵,染付,鉄絵の併用,鉄絵の絵高麗,色絵,楽焼色絵など各種を使用。特に色絵にすぐれ,その鮮明な色彩は光琳派風の絵付けとともに独自の装飾的効果をあげている。製陶のほか多くのみごとな絵も描き,晩年は特に絵画制作に力を注いだ。またすぐれた書を陶芸品や絵画に書き添え,独自の書風を示す。生涯独身で通した。主要作品は光琳との合作『寿老六角皿』,『色絵槍梅文茶碗』3個,『色絵杉林文皿』『花籠図』『八ツ橋図』『十二ヵ月花鳥歌絵』など。

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百科事典マイペディア 「尾形乾山」の意味・わかりやすい解説

尾形乾山【おがたけんざん】

江戸時代の陶工,画家。尾形光琳の弟。幼名権平,のちに深省と改め,諱(いみな)は惟允。紫翠,乾山,尚古斎などと号する。野々村仁清に陶法を学び,京都鳴滝に開窯。のち二条丁字屋町に移り,晩年江戸に出て,その間,1737年下野の佐野でも作陶した。光琳が絵付や意匠に協力し,陶器に絵画性を強くあたえる作風は,京焼に大きな影響を与えた。関東時代には絵画にも精力をかたむけ,弟子を通して江戸への琳派普及の基礎をつくった。
→関連項目鉄絵仁阿弥道八楽焼

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「尾形乾山」の解説

尾形乾山
おがたけんざん

1663~1743.6.2

江戸時代を代表する京都の陶工・絵師。京都屈指の呉服商雁金屋(かりがねや)尾形宗謙の三男に生まれ,幼名は権平,長じて深省と改名。乾山とは主宰する乾山焼の商標で,世人がこれを通称とした。1689年(元禄2)双ケ岡(ならびがおか)に習静堂を建て,隠士を自称。しかし99年(元禄12)には陶工として独立し,仁和寺近くの鳴滝泉谷に開窯。京都乾(いぬい)の方角にあたるため「乾山」を商標とし,作品にもこの名款をつけた。はじめ兄光琳(こうりん)が絵付に参加し,光琳意匠を焼物に応用して,乾山焼は一世を風靡。享保の中頃,江戸に下向して絵画にも力を注ぎ,文人陶工・絵師として81歳まで江戸に住んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾形乾山」の解説

尾形乾山 おがた-けんざん

1663-1743 江戸時代前期-中期の陶芸家。
寛文3年生まれ。尾形宗謙の3男。尾形光琳の弟。学問,茶事を藤村庸軒(ようけん)に,画を狩野安信にまなんだといわれる。本阿弥光悦(ほんあみ-こうえつ)の影響をうけ,野々村仁清の窯で修業する。元禄(げんろく)12年鳴滝(京都)に乾山焼を開窯。のち江戸入谷や下野(しもつけ)(栃木県)佐野で作陶した。寛保(かんぽう)3年6月2日死去。81歳。京都出身。初名は権平のち深省。名は惟允。別号に霊海,紫翠,習静堂,尚古斎,陶隠。作品に「花籠図」など。
【格言など】うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる(辞世)

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旺文社日本史事典 三訂版 「尾形乾山」の解説

尾形乾山
おがたけんざん

1663〜1743
江戸中期の陶工・画家
光琳の弟。兄の派手な性格と対照的で自制的な生活をした。作風は本阿弥光悦・野々村仁清 (にんせい) の風をうけ,さらに閑寂な趣を加え,京焼に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内の尾形乾山の言及

【京焼】より

…その典雅で純日本的な意匠と作風の陶胎色絵は,粟田口,御菩薩池(みぞろがいけ),音羽,清水,八坂,清閑寺など東山山麓の諸窯にも影響を及ぼし,後世〈古清水(こきよみず)〉と総称される色絵陶器が量産され,その結果,京焼を色絵陶器とするイメージが形成された。一方,1699年(元禄12)仁清の陶法を伝授され洛西鳴滝の泉山に窯を開いた尾形深省(尾形乾山)は,兄光琳の絵付や意匠になる雅陶を製作し,〈乾山(けんざん)焼〉として広く知られた。初期の京焼は,これら仁清の御室焼や古清水,乾山の雅陶などによって特徴づけられ,瀟洒(しようしや)な造形感覚,典雅な絵付や意匠によって最初の黄金期をむかえた。…

【琳派】より

…生家の雁金屋が呉服商であったため早くから染織意匠に関与したが,蒔絵(まきえ),陶器の絵付にもすぐれた作品を遺した。弟の尾形乾山は,斬新な絵付によって琳派陶器の大成者となったが,晩年江戸へ下ってからは精力的に絵画にも筆をとった。その画風は書と画の融合をめざす情趣的なものであったが,ここに初めて琳派画風が江戸に広まる端緒が開かれた。…

※「尾形乾山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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