尾道(市)(読み)おのみち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾道(市)」の意味・わかりやすい解説

尾道(市)
おのみち

広島県南東部、瀬戸内海に面する市。山地が海に迫り、市街地は海岸沿いに長く東西に延びている。1898年(明治31)市制施行。1937年(昭和12)栗原(くりはら)町と吉和(よしわ)村、1939年山波(さんば)村、1954年美ノ郷(みのごう)、木ノ庄(きのしょう)、原田の3村、1955年高須(たかす)、西、百島(ももしま)の3村、1957年浦崎(うらさき)村、1970年向東(むかいひがし)町、2005年(平成17)御調(みつぎ)と向島(むかいしま)の2町、2006年因島市(いんのしまし)と瀬戸田町(せとだちょう)をそれぞれ編入した。JR山陽本線と国道2号が海沿いの市街地を走り、山陽自動車道と国道のバイパスは市街地北部を迂回(うかい)している。また国道317号と西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)が旧因島市域を経て愛媛県今治(いまばり)市へ、国道184号、尾道自動車道は松江市へと通じている。北部を486号が横断する。1988年山陽新幹線の新尾道駅が開業した。尾道港は内海航路の拠点の一つである。

 尾道の起源は1168年(仁安3)備後国(びんごのくに)大田荘(おおたのしょう)の船津倉屋敷が置かれたのに始まる。その後、年貢米輸送の港津として、さらに対明(みん)貿易船の内海唯一の寄港地になった。江戸時代には西廻(にしまわり)航路の重要な寄港地、また内海航路の中心地として栄えた。明治以降は港が狭く水深も浅いため大型船の出入りが制限され、地方的な港となっている。産業面では、商港としての長年の実績を基盤にして商都の性格が強く、卸・小売りなどの商業機能が高い。海に面して回船問屋や卸売り問屋が軒を並べる。市街地東部や北部には流通センターが設置されている。工業は伝統的な造船業があるが、近年は不振である。そのため、工業の脱造船化が図られ、工業団地や流通団地の造成が進められている。島嶼部を中心に、レモン、ミカンなどの柑橘類やスイカなどの果樹栽培が盛ん。尾道大橋架設(1968)後は観光開発が進んでいる。漁業は瀬戸内海のタイ、タチウオ、タコなどが漁獲される。企業進出の面で東の福山市、西の三原市に比べて劣勢にあるが、新尾道大橋(1999年完成)を経て四国へ至る本州四国連絡架橋の尾道―今治(いまばり)ルートの基点にあたり、1993年(平成5)には福山市、府中市とともに福山地方拠点都市地域の指定を受けている。なお、2001年市立4年制大学の尾道大学(2012年名称変更して尾道市立大学となる)が開学した。

 尾道は第二次世界大戦の戦災を受けず、古い街のおもかげをよく残している。かつて志賀直哉(なおや)の住んだ家があり、林芙美子(ふみこ)のゆかりの地でもあり、文学碑の立つ「文学のこみち」や、「おのみち文学の館」がある。また古刹(こさつ)も多く、真言宗泉涌寺派大本山浄土寺は聖徳太子の創建と伝えられ、国宝の本堂、多宝塔のほか、国指定重要文化財が多い。愛宕(あたご)山山腹にある西国寺は真言宗醍醐派大本山。千光(せんこう)寺山中腹にある千光寺は瀬戸内海の展望に優れ、千光寺公園は春の桜や秋の菊花展の時期にとくににぎわう。千光寺山の山頂へはロープウェーが通じる。そのほか、市立美術館、県立の総合運動公園「びんご運動公園」、尾道ゆかりの映画に関する資料を展示した「おのみち映画資料館」などがある。面積285.11平方キロメートル、人口13万1170(2020)。

[北川建次]

『『尾道市史』6巻(1971~1977・尾道市)』


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