山内忠義(読み)やまうちただよし

改訂新版 世界大百科事典 「山内忠義」の意味・わかりやすい解説

山内忠義 (やまうちただよし)
生没年:1592-1664(文禄1-寛文4)

江戸初期の大名。2代土佐藩主治世は1605年(慶長10)から56年(明暦2)の隠居までの52年間。剛毅果断な性格で,治世の前半は,走者の帰住奨励や下人解放らの農民支配の徹底や藩財政の窮迫にともなう元和改革を実施し,田地割替制を行うなど近世的支配体制を発展させた。後半は野中兼山奉行職につけ,藩政の確立に努めた。また寺社修復に尽力した。
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朝日日本歴史人物事典 「山内忠義」の解説

山内忠義

没年:寛文4.11.24(1665.1.10)
生年文禄1(1592)
江戸前期の土佐国高知藩(高知市)藩主。遠江国(静岡県)生まれ。通称は幼名国松,初め康豊と名乗る。侍従に任ぜられる。父は山内一豊の弟康豊,母は水野氏の娘。妻は徳川家康の養女名阿姫。一豊の養子となり,慶長10(1605)年遺領20万2600石を継ぐ。15年松平の称号を許される。藩政初期は父康豊が後見となっていた。17年「定法度条々」全75条を制定し,特に農地を捨てて逃げ出す「走り者」対策を強化。また野中兼山を登用,新田開発,殖産興業などにより藩財政の立て直しを計る。領内の神社仏閣境界を正したり,寺社の修復を行うなど文化事業にも力を注ぐ。明暦2(1656)年隠居。

(小柴良介)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内忠義」の解説

山内忠義 やまうち-ただよし

1592-1665* 江戸時代前期の大名。
文禄(ぶんろく)元年生まれ。山内康豊の長男。伯父(おじ)山内一豊の養子となり,慶長10年土佐高知藩主山内家2代をつぐ。野中兼山を起用し,新田開発,殖産興業をすすめ,藩財政の確立をはかった。寛文4年11月24日死去。73歳。

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世界大百科事典(旧版)内の山内忠義の言及

【山内忠義】より

…江戸初期の大名。2代土佐藩主。治世は1605年(慶長10)から56年(明暦2)の隠居までの52年間。剛毅果断な性格で,治世の前半は,走者の帰住奨励や下人解放らの農民支配の徹底や藩財政の窮迫にともなう元和改革を実施し,田地割替制を行うなど近世的支配体制を発展させた。後半は野中兼山を奉行職につけ,藩政の確立に努めたのは有名。また寺社の修復に尽力した。【高橋 史朗】…

※「山内忠義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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