山名氏清(読み)ヤマナウジキヨ

デジタル大辞泉 「山名氏清」の意味・読み・例文・類語

やまな‐うじきよ〔‐うぢきよ〕【山名氏清】

[1344~1392]南北朝時代の武将。北朝方として大功を挙げ、丹波などの守護となったが、その勢力が強大なのを恐れた足利義満反目し、明徳の乱を起こして敗死。

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精選版 日本国語大辞典 「山名氏清」の意味・読み・例文・類語

やまな‐うじきよ【山名氏清】

南北朝時代の武将。時氏の四子。父の死後、丹後国守護となり、南朝方との戦闘活躍。将軍足利義満の策により明徳の乱を起こして敗死。康永三~明徳二年(一三四四‐一三九一

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朝日日本歴史人物事典 「山名氏清」の解説

山名氏清

没年:明徳2/元中8.12.30(1392.1.24)
生年:康永3/興国5(1344)
南北朝時代の武将。守護大名。時氏の第4子。民部少輔,陸奥守。父の死後分国のうち丹波を継承。永和4/天授4(1378)年12月南朝の橋本正督が紀伊に蜂起したとき,室町幕府将軍足利義満の命で兄義理と共に鎮圧に当たり,その功で楠木正儀に代わって和泉守護となる。これに先立つ永和3/天授3年7~12月侍所頭人を務め,洛中の警察と山城一国の遵行を担当。また永徳2/弘和2(1382)年閏1月の河内平尾合戦など南軍攻略に活躍した。至徳2/元中2(1385)年12月,新たに設置された山城守護職に就任。笠置に城郭を築いて南山城一帯の荘園を押領したため,興福寺,春日社では恐慌をきたしたと記録されている。当時山名氏の分国は山城,丹波,丹後,但馬,因幡,伯耆,隠岐,出雲,美作,備後,紀伊,和泉と空前の12カ国に膨張し,ここに至って,義満はその削減を企てるようになる。義満は厳島参詣と称して,途中讃岐に細川頼之と山名討滅の謀議を凝らし,頼之・頼元兄弟を執政登用,康応1/元中6年5月に山名惣領時義が没すると,翌年3月,氏清・満幸の叔父甥に命じて時義の子時煕・氏幸兄弟を討たせた。これにより氏清は但馬を分国に加えられて家督となるが,その後義満の巧妙な離間策に乗せられ,義満に反旗を翻す。山名氏の大軍は義満自らが率いる幕府軍により洛中内野に壊滅し,氏清は三条大宮付近で一色詮範に討たれた(明徳の乱)。この乱は国家的反乱でありながら治罰綸旨が発給されず,幕府が独力で鎮圧したものとして重要。

(今谷明)

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改訂新版 世界大百科事典 「山名氏清」の意味・わかりやすい解説

山名氏清 (やまなうじきよ)
生没年:1344-91(興国5・康永3-元中8・明徳2)

南北朝時代の武将。時氏の第4子。丹波・和泉守護。時氏没後,兄の師義が家督を継ぐが,師義も死没して弟時義が惣領となる。1389年(元中6・康応1)時義が没すると,将軍足利義満は俗に〈六分一衆〉と呼ばれるほど強大化した山名氏の内部分裂を画策し,氏清が生前の時義と不和であったのを利用して,まず氏清,満幸(氏清の女婿)に命じて時義の子時煕(ときひろ),氏幸を討たせ,時煕の分国但馬を氏清に与えるなどした。時煕らは備後に逃れた。ところが1391年(元中8・明徳2)になると,義満は満幸が上皇領出雲横田荘を押領したことをとがめ,その出雲守護職を没収して京都から追放し,一方で赦免を嘆願していた時煕,氏幸を許した。氏清は,満幸が将軍義満は山名氏を滅ぼす計略であると説くのをいれて幕府に背き,分国の軍勢を率いて京都に攻め込むが,直轄軍などで強化された幕府軍に討滅された(明徳の乱)。その分国のうち本国但馬は時煕,伯耆は氏幸,要港堺の位置する和泉は大内義弘に与えられた。諡号(しごう)は宗鑑寺殿古鑑衡公。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山名氏清」の意味・わかりやすい解説

山名氏清
やまなうじきよ
(1344―1391)

南北朝時代の守護。父は山名氏隆盛の基を築いた時氏(ときうじ)。氏清は南朝勢力を討った功により和泉(いずみ)守護職を与えられ、丹波(たんば)守護職にも補され、六分一殿(ろくぶんのいちどの)山名氏の一翼を担った。1371年(建徳2・応安4)時氏の没後、山名氏の惣領(そうりょう)職は、師義(もろよし)、時義(ときよし)、時煕(ときひろ)と継承されたため、満幸(みつゆき)の不満が高まった。氏清は満幸を支援し、時煕・氏幸(うじゆき)と対立した。大守護勢力削減を意図した将軍足利義満(あしかがよしみつ)は、この内紛に介入し、氏清・満幸に時煕・氏幸を討たせた。氏清は丹後(たんご)守護職に、満幸は伯耆(ほうき)・隠岐(おき)の守護職に補された。しかし氏清は、仙洞料所(せんとうりょうしょ)の押領(おうりょう)などで義満の意に背いた満幸とともに、1391年(元中8・明徳2)義満に反して明徳(めいとく)の乱を起こし、12月30日内野(うちの)の合戦で大内義弘(おおうちよしひろ)らの幕軍と戦い、討ち死にした。

[田沼 睦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山名氏清」の意味・わかりやすい解説

山名氏清
やまなうじきよ

[生]興国5=康永3(1344)
[没]元中8=明徳2(1391).12.30. 京都
南北朝時代の武将。時氏の子。民部大輔。陸奥守。父の死後,丹波その他の守護職となった。天授4=永和4 (1378) 年紀伊の南朝方に備えて和泉守護に補され,その結果,山名氏一族は 11ヵ国を領するにいたった。山名氏は時氏,時義の死後内紛があり,将軍足利義満はこれを利用して山名氏の勢力削減を策し,元中7=康応2 (90) 年氏清とその甥の満幸に命じて,同族の山名時煕,氏之を攻めさせた。しかしまもなく,氏清,満幸は義満と反目し,元中8=明徳2 (91) 年氏清は満幸とともに挙兵,同族の山名義理,高義,氏家を味方にして幕府軍と戦った。先鋒の高義は大内義弘と戦って敗死,次いで満幸が細川頼之,畠山基国と戦って敗走,氏清も氏家とともに赤松義則,一色詮範と戦ったが利なく,二条大宮で戦死した。これを明徳の乱といい,乱後山名氏の勢力は一挙に衰退した。

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百科事典マイペディア 「山名氏清」の意味・わかりやすい解説

山名氏清【やまなうじきよ】

南北朝時代の武将。丹波・和泉・但馬の守護。山名氏の惣領時義(ときよし)が没すると,足利義満は当時11ヵ国の守護職を有し,〈六分一殿(ろくぶのいちどの)〉とよばれるほど強大であった山名氏一族の内部分裂を画策した。義満は氏清が生前の時義と不和であったのを利用し,氏清と満幸(氏清の女婿)に時義の子時煕(ときひろ),氏幸を攻撃させた。その後の義満の処置に不満をもった氏清は,京都に攻め込んだが,幕府軍に討滅され,戦死した。→明徳の乱

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山名氏清」の解説

山名氏清
やまなうじきよ

1344~91.12.30

南北朝期の武将。丹波・和泉両国ほかの守護。山名時氏の子。1378年(永和4・天授4)和泉国守護となり,紀伊国守護となった兄義理(よしただ)とともに南朝勢力の征討に活躍。90年(明徳元・元中7)将軍足利義満の命令に従い甥で女婿の満幸とともに同族時熙(ときひろ)・氏之(幸)を攻めたが,91年満幸の失脚,時熙らの赦免など,山名一族の勢力削減を狙う義満に翻弄された。このため満幸らと反抗を決意し,同年12月和泉から京都に進攻したが敗死(明徳の乱)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名氏清」の解説

山名氏清 やまな-うじきよ

1344-1392* 南北朝時代の武将。
康永3=興国5年生まれ。山名時氏の4男。丹波,和泉(いずみ),山城,但馬(たじま)の守護。惣領職(そうりょうしき)をめぐる一族の内紛を利用して山名氏の勢力削減をはかる将軍足利義満の策謀にのせられ,甥の山名満幸とともに挙兵。明徳2=元中8年12月30日京都で幕府軍の一色詮範(あきのり)に討たれた(明徳の乱)。48歳。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山名氏清」の解説

山名氏清
やまなうじきよ

1344?〜91
南北朝時代の武将
時氏の子。3代将軍足利義満に仕え,南朝との戦いに功をたて,和泉・丹波・美作 (みまさか) ・因幡 (いなば) の守護となる。一族で11か 国を領し,「六分一衆(殿)」と呼ばれ強勢を誇ったが,一族の内紛と義満との反目から1391年明徳の乱をおこし敗死した。

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世界大百科事典(旧版)内の山名氏清の言及

【明徳の乱】より

…1391年(元中8∥明徳2)に山名氏清,山名満幸らが反幕府的行動を起こし,討たれた乱。山名氏は清和源氏新田氏の一族で,足利尊氏の挙兵に応じて活躍し,山陰地方を根拠として勢力を拡大した。…

【山城国】より

…侍所頭人が山城国守護を兼帯することになったのである。その後,85年(元中2∥至徳2)には山名氏清(やまなうじきよ)が守護に補任されることによって,はじめて単独の守護が成立した。明徳の乱(1391)に山名氏清が敗北したのちは,将軍の近習や侍所頭人が守護となっているが,いずれもが短期間で交替している。…

※「山名氏清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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