山家学生式(読み)さんげがくしょうしき

精選版 日本国語大辞典 「山家学生式」の意味・読み・例文・類語

さんげがくしょうしき サンゲガクシャウシキ【山家学生式】

最澄著の「天台法華宗年分学生式(六条式)」「勧奨天台宗年分学生式(八条式)」「天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)」の総称。弘仁九年(八一八五月八月、翌年三月成立。南都旧仏教に対し天台宗の修行規定を明らかにし、大乗戒による一宗独立を意図したもの。

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デジタル大辞泉 「山家学生式」の意味・読み・例文・類語

さんげがくしょうしき〔サンゲガクシヤウシキ〕【山家学生式】

平安初期の仏教書。1巻。最澄著。天台法華宗年分学生式(六条式)、勧奨天台宗年分学生式(八条式)、天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)の3部の総称。弘仁9~10年(818~819)に順次成立。天台宗(山家)での学生養成制度を勅許されるよう願ったもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山家学生式」の意味・わかりやすい解説

山家学生式
さんげがくしょうしき

最澄(さいちょう)が樹立しようとした、天台宗の僧の養成についての規則。最澄は、自然現象の順調な推移、災害なき国家を実現するためには、純粋な大乗の僧(菩薩(ぼさつ)僧)の養成が不可欠と考えた。そこで、天台宗の僧には、奈良で行われていた小乗の戒律による受戒の制度を離れて、比叡(ひえい)山上に新たに大乗戒壇を設けて大乗の戒によって授戒のうえ僧の資格を与え、授戒後は20年間を比叡山上で学問修行させる規則をつくって朝廷の許可を求めた。最初に天台法華宗(ほっけしゅう)年分(ねんぶん)学生式(六条式)を818年(弘仁9)5月13日に、ついで勧奨(かんしょう)天台宗年分学生式(八条式)を同年8月27日に、天台法華宗年分度者回小向大(えしょうこうだい)式(四条式)を翌年3月15日に提出した。以上三つの式を総称して山家学生式という。しかし奈良の仏教界の反対があって許可されず、最澄は『顕戒論(けんかいろん)』などの著作を行って、その戒律思想の正統性を訴えた。しかし彼の生存中にはついに許されず、没後7日目の822年6月10日に至って許され、翌年から天台宗では新制度による授戒が行われた。

[田村晃祐]

『安藤俊雄・薗田香融校注『日本思想大系4 最澄』(1974・岩波書店)』『石田瑞麿著『日本仏教における戒律の研究』(1963・在家仏教協会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「山家学生式」の意味・わかりやすい解説

山家学生式 (さんげがくしょうしき)

最澄の著。818年(弘仁9)5月13日付の《天台法華宗年分学生式(六条式)》,同年8月27日付の《勧奨天台宗年分学生式(八条式)》,翌819年3月15日付の《天台法華宗年分度者回小(えしよう)向大式(四条式)》の3部を総称していう。いずれも天台宗の年分学生(年分度者)の修業年限や課程を規定したもの。山家とは天台宗の意。従来,大僧(比丘(びく))になるには南都の戒壇で小乗戒を受けねばならなかったが,最澄は,天台宗の独立をはかり,大乗戒の菩薩僧を養成するための条式を制定した。《六条式》では806年(大同1)に勅許された天台宗の年分度者には大乗戒を授け,12年間籠山(ろうざん)せしめて所定の修学を課すこと,《八条式》では12年間の修学の方法,学生の待遇などを,それぞれ定めている。《四条式》は天台宗年分の学生ならびに他宗より来た者は小乗戒を受けることを禁じ,大乗戒をもって大僧となさんとする制条で,大乗戒壇設立の宣言といえる。僧綱のはげしい攻撃をうけ,最澄は《顕戒論》を著して反論した。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山家学生式」の解説

山家学生式
さんげがくしょうしき

天台宗僧養成の課程を定めて勅許を請うたもの。1巻。最澄(さいちょう)著。818年(弘仁9)5月奏上の「天台法華宗年分学生式(六条式)」,同年8月奏上の「勧奨天台宗年分学生式(八条式)」,翌年3月奏上の「天台法華宗年分度者回小向大式(四条式)」の3首からなる。「六条式」は天台宗僧を大乗菩薩僧として養成するための天台宗独自の大乗戒受戒,比叡籠山,毎日の行業,課程修了後の任用などの法式を提示し,「八条式」はその細則。「四条式」は問題を受戒にしぼって大乗戒受戒という独自の法式を前面だし,その論拠を提示したもの。本式の提唱は南都の猛反対にあい,最澄は改めて「顕戒論(けんかいろん)」を奏上し,勅許を求めたが生前は許されず,822年,最澄没後の7日目に認可された。「日本思想大系」所収。

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百科事典マイペディア 「山家学生式」の意味・わかりやすい解説

山家学生式【さんげがくしょうしき】

平安初期の仏書。最澄が天台宗の僧侶の教育方針や実際規定などについて818年―819年嵯峨天皇に上奏した《六条式》《八条式》《四条式》の3式の総称。当時諸宗の僧がひとしく東大寺・薬師寺(栃木)・観世音(かんぜおん)寺(福岡)の戒壇院で登壇受戒することに定められていた制を改め,天台僧には独自の方法があることを打ち出し,南都の僧綱の論難をまき起こした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山家学生式」の意味・わかりやすい解説

山家学生式
さんげがくしょうしき

最澄著。 (1) 『天台法華宗年分学生式』,六条式ともいう。弘仁9 (818) 年5月成立。 (2) 『勧奨天台宗年分学生式』,八条式ともいう。同年8月成立。 (3) 『天台法華宗年分度者回小向大式』,四条式ともいう。同 10年3月成立。以上の3部の総称。最澄が国家有用の人材養成を目的として嵯峨天皇に提出したもの。根本の主張は,法華一乗を信奉する宗徒が南都の旧仏教の制度下から脱し,完全に独立するために比叡山に大乗戒壇を創建することであった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山家学生式」の解説

山家学生式
さんげがくしょうしき

平安初期,最澄の著した仏書
818〜819年の成立。1巻。比叡山において天台宗を学ぶ学生のために教育方針と規則を記した教条で,嵯峨天皇に献じ,大乗戒壇の建立を申請。そのため南都諸寺院との対立が激化した。

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世界大百科事典(旧版)内の山家学生式の言及

【最澄】より

…最澄は自己の教学の優越性に自信を深め,そして究極の目的とする大乗戒壇の設立に邁進した。かつて19歳のとき東大寺で受けた小乗戒は,まったく形式主義に堕し,国家鎮護・衆生済度の大任を果たしえないとして,818年みずから破棄を宣言し,ついで《山家学生(さんげがくしよう)式》を定め,天台宗の年分度者は比叡山において大乗戒を受けて菩薩僧となり,12年間山中で修行することを義務づけた。これに対して南都の僧綱は猛然と反論した。…

※「山家学生式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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