精選版 日本国語大辞典 「山本周五郎」の意味・読み・例文・類語
やまもと‐しゅうごろう【山本周五郎】
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小説家。明治36年6月22日、山梨県大月市初狩町下初狩に生まれる。本名清水三十六(しみずさとむ)。正則英語学校卒業。質店の徒弟、新聞・雑誌記者を経て小説家となる。1926年(大正15)『文芸(ぶんげい)春秋』4月号の懸賞に投じた『須磨寺附近』が文壇出世作となる。初めは劇作や童話、少女小説の執筆を主としていたが、32年(昭和7)5月号『キング』に時代小説『だゝら團兵衛』を発表して以後、大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる。ために一般からは大衆作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作者や批評家からはほとんど黙殺された。だが山本は「文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よい小説”と“わるい小説”があるばかりだ」を信念とし、普遍妥当性をもつ人間像の造形を生涯の目的とした。山本はつねに日の当たらぬ庶民の側にたち、既成の権威に敢然と抵抗する態度を持し続けた。43年、第17回直木賞を断固辞退したのをはじめ、受賞を要請された文学賞のすべてを一蹴(いっしゅう)したのは「文学は賞のためにあるのではない」との作者の倫理に発したもので、その硬骨ぶりは日本近代文学史上、他に例がない。戦後、ようやく幅広い読者を獲得し、『樅(もみ)ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚(たん)』(1958)、『おさん』(1961)、『青べか物語』(1960)、『さぶ』(1963)などの傑作を世に問い、死後、声価はますます高い。「100年後、日本の代表的短編作家として残ろう」(奥野健男(たけお))、「可愛い女を描いてチェホフを抜く」(島田謹二(きんじ))と評価するむきもあるほどである。昭和42年2月14日、横浜市中区間門(まかど)町の仕事場で死去。なお、1987年9月、「山本周五郎賞」が新潮文芸振興会により設定された。
[木村久邇典]
『『山本周五郎全集』全30巻(1981~84・新潮社)』▽『『青べか物語』『赤ひげ診療譚』『さぶ』(新潮文庫)』▽『木村久邇典編『研究山本周五郎』(1973・学芸書林)』
小説作者。山梨県生れ。本名清水三十六(さとむ)。横浜市西前小学校卒業後,東京木挽町の山本周五郎商店(きねや質店)の徒弟となり正則英語学校に学んだ。関東大震災で罹災,文学の新天地を関西に求め地方新聞記者,雑誌記者を体験して帰京後《日本魂》編集者となった。1926年《文芸春秋》に投じた《須磨寺附近》で文壇に登場,32年以降《キング》《講談雑誌》を主舞台とし,43年《小説日本婦道記》が直木賞候補になるや直ちに辞退,後すべての文学賞を固辞した。主に江戸時代に材をとり,武士の哀感や市井の人々の悲喜を描くなかで,徹底して庶民の側に立った稀有(けう)な反権力の作者であり,狭義の純・大衆文学の境域をはるかに超えた広い層の読者を持つ。戦後の進境はとくに目覚ましく,代表的短編に《つゆのひぬま》《将監さまの細みち》《落葉の隣り》《おさん》。長編に《樅ノ木は残った》《青べか物語》《赤ひげ診療譚》《虚空遍歴》《さぶ》《ながい坂》がある。
執筆者:木村 久邇典
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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