20世紀日本人名事典 「山本 玄峰」の解説
山本 玄峰
ヤマモト ゲンポウ
明治〜昭和期の僧侶 臨済宗妙心寺派管長。
- 生年
- 慶応2年1月28日(1866年)
- 没年
- 昭和36(1961)年6月3日
- 出生地
- 和歌山県湯峰
- 別名
- 別号=般若窟,幼名=芳吉
- 経歴
- 捨て子ともいわれ、岡本善蔵に拾われ、芳吉と名付けられた。明治16年眼病となり、17年結婚したが、失明の宣告を受け20年妻を離縁して各地を放浪。23年7回目の四国遍路の途中、行き倒れとなり、高知県雪蹊寺の住職山本太玄に救われ得度した。24年雲水修行に出て滋賀県や兵庫県の禅寺で修行、28年岡山県宝福寺九峰につき、30年岐阜県虎渓山に掛錫し5年間留錫。34年太玄の養子となり山本姓となり36年雪蹊寺住職、41年京都府円福寺に入り見性宗般の印可を得た。大正3年宗般と図って静岡県三島の竜沢寺を再興、住職となり、次いで沼津松蔭寺、犬山瑞泉寺などを復興し、12年欧米、インドを巡歴。15年東京白山の竜雲院で月例の接心会を開いた。昭和11年新京に妙心寺別院を開いた。22年臨済宗妙心寺派管長に。池田勇人、楢橋渡、升田幸三ら政、財界の帰依者が多かった。著書に「無門関提唱」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報