20世紀日本人名事典 「山田 盛太郎」の解説
山田 盛太郎
ヤマダ モリタロウ
大正・昭和期の経済学者 東京大学名誉教授。
- 生年
- 明治30(1897)年1月29日
- 没年
- 昭和55(1980)年12月27日
- 出生地
- 愛知県葉栗郡黒田町(現・木曽川町)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学経済学部〔大正12年〕卒
- 学位〔年〕
- 経済学博士(東京大学)〔昭和25年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等瑞宝章〔昭和42年〕
- 経歴
- 大正14年東京帝大経済学部助教授になったが、昭和5年共産党シンパ事件に関連して大学を去る。7年から野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」(7巻)を編集刊行、いわゆる“講座派”の理論的代表者といわれ、労農派と論争した。9年に出版された「日本資本主義分析」は日本資本主義の“軍事的半封建的”性格を明らかにした名著といわれる。11年コム・アカデミー事件に連座して投獄され、14年出獄後は東亜研究所研究員となった。戦後、東京大学教授に復帰、25年経済学部長、32年定年退官。専修大学教授、龍谷大学教授を歴任。41年東大名誉教授となる。他の著書に「日本農業再生産構造の基礎的分析」「戦後再生産構造の段階と農業形態」、「山田盛太郎著作集」(全5巻・別巻1 岩波書店)など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報