山田 抄太郎(読み)ヤマダ ショウタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山田 抄太郎」の解説

山田 抄太郎
ヤマダ ショウタロウ


職業
長唄三味線方 作曲家

肩書
東京芸術大学教授 重要無形文化財保持者(長唄・三味線)〔昭和30年〕,日本芸術院会員〔昭和34年〕

別名
前名=杵屋 六次,稀音家 六治(キネヤ ロクジ)

生年月日
明治32年 3月5日

出生地
東京市 小石川区白山(東京都 文京区)

経歴
明治44年杵屋三喜代に師事、その後、3代目杵屋六四郎(2代目稀音家浄観)に入門。大正2年杵屋六次の名で長唄研精会に初出演。14年一時東京へ移住。15年稀音家六治と改名。昭和7年長唄研究所を開設。9年東京音楽学校邦楽科嘱託、16年講師、18年教授となり、25年同校の大学昇格で東京芸術大学教授。26年稀音家六治の芸名返上本名山田抄太郎で演奏活動を始める。また、国光会、抄風会の指導者として活躍。32年には東京芸大の卒業生の演奏団体東音会を結成後身を育てた。演奏家であると共に作曲家としても活躍、27年「橡の木」作曲演奏で芸術祭奨励賞、他に「胡蝶舞」「夜遊楽」「黎明」などがある。30年には人間国宝に認定され、同年日本芸術院賞受賞、34年日本芸術院会員、43年文化功労者に選ばれた。

受賞
日本芸術院賞(昭29年度)〔昭和30年〕,文化功労者〔昭和43年〕 芸術祭賞奨励賞(第7回 昭27年度)「橡の木」

没年月日
昭和45年 6月8日 (1970年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山田 抄太郎」の解説

山田 抄太郎
ヤマダ ショウタロウ

大正・昭和期の長唄三味線方,作曲家 東京芸術大学教授。



生年
明治32(1899)年3月5日

没年
昭和45(1970)年6月8日

出生地
東京

別名
前名=稀音家 六治

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和27年〕「橡の木」,日本芸術院賞〔昭和30年〕,文化功労者〔昭和43年〕

経歴
大正2年杵屋六四郎(後の2代目稀音家浄観)に入門、杵屋六次の名で長唄研精会に出演。昭和9年東京音楽学校邦楽科嘱託、16年講師、18年教授となり、25年同校の大学昇格で東京芸術大学教授。大正15年から名乗った稀音家六治の芸名は昭和24年に返上、本名に戻った。国光会、抄風会の指導者として活躍、32年東音会を結成、後身を育てた。演奏家であると共に作曲家としても活躍、27年「橡の木」作曲演奏で芸術祭奨励賞、他に「胡蝶舞」「夜遊楽」などがある。30年には重要無形文化財保持者に指定され、同年芸術院賞受賞、34年芸術院会員、43年文化功労者に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「山田 抄太郎」の解説

山田 抄太郎 (やまだ しょうたろう)

生年月日:1899年3月5日
大正時代;昭和時代の長唄三味線方;作曲家。東京芸術大学教授
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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