岡上景能(読み)おかのぼり・かげよし

朝日日本歴史人物事典 「岡上景能」の解説

岡上景能

没年:貞享4.12.3(1688.1.5)
生年:寛永4頃(1627)
近世前期の江戸幕府代官,知行高150石。代官岡上景親の養子通称次郎兵衛。北条氏の家臣であった祖父が徳川家康に仕えて代官に取り立てられ,以降代々代官を務める。祖父(2代続けて甚右衛門景親と同名であるため,父とされることもある)は上野国吾妻郡岡崎新田に岡上用水を引き開発した。景能は武蔵,上総,上野,下野,越後などの幕府領および足尾銅山を支配した。銅を搬出する銅山街道を整備し,上野国新田郡大原本町(群馬県新田郡藪塚本町)に銅問屋を新設し,宿用水と助郷人馬の確保のために渡良瀬川から引水して岡登用水を開削し,同郡笠懸野を開発した。しかし,貞享4(1687)年,幕府から八丈島流罪を言い渡され,その後さらに死罪を命ぜられ切腹。上総国での村境論の裁定が不届きであり,また用水開発に不正があったという理由であるが,真相は不明である。岡登用水は廃絶され,幕末に再興された。墓所は新田郡笠懸町の国瑞寺にあり,岡登霊神社が同郡藪塚本町にある。<参考文献>萩原進,丑木幸男『代官岡上景能』

(丑木幸男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡上景能」の解説

岡上景能 おかのぼり-かげよし

?-1688* 江戸時代前期の武士
養父景親の跡をついで幕府代官となり,寛文8年足尾の銅山奉行をかねる。越後(えちご)(新潟県)魚沼郡,上野(こうずけ)(群馬県)新田郡笠懸野(かさがけの)などの用水路整備や開墾に尽力した。年貢滞納などの理由により切腹を命じられ,貞享(じょうきょう)4年12月3日死去。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。通称は次郎兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岡上景能の言及

【上野国】より

…利根川の水を引くこの用水は,さらに代官伊奈忠次によって延長され,新田2万7000石を得た。東毛では代官岡上景能(おかのぼりかげよし)が渡良瀬川の水を引いて,笠懸野に二十数ヵ村の新田を開いた。元禄郷帳の上野国総石高は59万1000石余,村数1213を数える。…

※「岡上景能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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