岡本一抱(読み)おかもと・いっぽう

朝日日本歴史人物事典 「岡本一抱」の解説

岡本一抱

没年:宝暦4(1754)
生年貞享3(1686)
江戸中期の医者。京都に生まれる。号は一得斎,通称は為竹,本姓は杉森氏。祖父豊臣秀吉の医者,父受慶は福井藩の医者。兄は近松門左衛門。明の『内経』考証注解の動きを日本に広めた饗庭東庵門の味岡三伯師事。のちに師と離れ,主に難解な医書を仮名交じりで平易に解説した『諺解書』を著し,広い人気を獲得した。兄の近松門左衛門から,インスタント医者増加の原因になると批判されてから,その業を断ったというが,医書の普及に功があったことは否定できない。<著作>『医学正伝或問諺解』『運気論諺解』『医方大成論諺解』<参考文献>矢数圭堂「『近世漢方医学書集成』7巻解説」

(石田秀実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡本一抱」の意味・わかりやすい解説

岡本一抱
おかもといっぽう

[生]承応3(1654).福井
[没]享保1(1716).5.20. 京都
江戸時代中期の医師。通称は為竹,号は一得翁,守一翁,摂生堂。近松門左衛門の弟。本姓は杉森であるが,のちに平井家の養子となって平井要安と称し,元禄1 (1688) 年頃岡本一抱と改めた。 10歳で医学を学び,寛文 11 (71) 年味岡三伯に入門。貞享2 (85) 年に『新編灸法口訣入門』を出版したのを皮切りに,注解あるいは諺解した医書を続々と出し,江戸時代の医師のなかで最も多く医書を出版した人として名を残した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本一抱」の解説

岡本一抱 おかもと-いっぽう

1686-1754 江戸時代中期の医師。
貞享(じょうきょう)3年生まれ。越前福井藩医杉森受慶の子で,近松門左衛門の弟。京都で味岡三伯にまなぶ。古医書の平易な注釈書(諺解(げんかい)書)を数おおくのこした。宝暦4年死去。69歳。名は伊恒。通称は為竹。別号に一得斎,守一翁。著作に「病因指南」「広益本草大成」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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