20世紀日本人名事典 「岡本 太郎」の解説
岡本 太郎
オカモト タロウ
昭和・平成期の芸術家,評論家
- 生年
- 明治44(1911)年2月26日
- 没年
- 平成8(1996)年1月7日
- 出生地
- 神奈川県川崎市
- 出身地
- 東京都港区青山
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾普通部卒,東京美術学校〔昭和4年〕中退,ソルボンヌ大学民族学科〔昭和14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 国際建築絵画大賞(フランス)〔昭和34年〕,毎日出版文化賞(第15回)〔昭和36年〕「忘れられた日本」,フランス芸術文化勲章〔平成1年〕,歴程賞(第31回)〔平成5年〕「全業績」
- 経歴
- 父は画家の岡本一平、母は歌人であり小説家の岡本かの子。昭和4年東京美術学校に入学したが、同年末両親とともに渡欧、11年間パリで過ごした。ソルボンヌ大学で哲学、社会学、民族学を学び、14年に卒業。この間、抽象芸術運動、超現実主義に接近し、12年シュール・アンデパンダンに「傷ましき腕」を出品。15年帰国、17年召集で中国を転戦。22年に復員後、東京新聞に坂口安吾の連載小説の挿絵を担当、芸術運動をはじめ、政治運動家、評論家としても活躍。36年の二科会退会後、活動分野はさらに広がり、各地の美術館、デパートの巡回展のほか、壁画モニュメントの制作、家具・メダル類のデザインにまで及び、“芸術は爆発だ!”のCMなどテレビ・タレントとしても活躍。45年の大阪万国博では、テーマ展示プロデューサーとなり、“太陽の塔”を設計して賛否の論議の的となった。55年新宿小田急グランドギャラリーで回顧展を開催。平成3年自作352点(500億円相当)を川崎市に寄贈。また著書も多く、「日本再発見」「忘れられた日本―沖縄文化論」「美の呪力」「美の世界旅行」などの他、「岡本太郎著作集」(全9巻 講談社)がある。10年5月住居兼アトリエを公開する岡本太郎記念館が開館。11年川崎市に川崎市岡本太郎美術館が開館。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報