岡田 啓介(読み)オカダ ケイスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岡田 啓介」の解説

岡田 啓介
オカダ ケイスケ


肩書
第31代首相,連合艦隊長官,海相

生年月日
慶応4年1月21日(1868年)

出生地
越前国(福井県)

学歴
海兵(第15期)〔明治22年〕卒 海大〔明治34年〕卒

経歴
日露戦争に春日副艦長として日本海海戦に参戦。その後、海大教官、水雷学校長、春日・鹿島各艦長などを経て、大正4年海軍省人事局長、6年佐世保工廠長、9年艦政本部長、12年海軍次官などを歴任。13年6月海軍大将、軍事参議官、同年12月連合艦隊長官、15年横須賀鎮守府長官。昭和2年田中義一内閣の海相となるが、4年張作霖爆殺の“満州某重大事件”で辞職し、軍事参事官。5年のロンドン海軍軍縮会議では省内のまとめ役をつとめ、条約調印にこぎつける。7年再び斎藤実内閣の海相をつとめ、9年首相に就任。11年2.26事件で青年将校に襲われ、危うく助り、内閣総辞職。のち重臣として対米開戦に反対、東条内閣打倒に努力した。自伝に「岡田啓介回顧録」がある。

没年月日
昭和27年10月17日

家族
父=岡田 喜藤太(福井藩士) 娘=迫水 万亀(日本生活文化交流協会会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「岡田 啓介」の解説

岡田 啓介
オカダ ケイスケ

明治〜昭和期の海軍大将,政治家 連合艦隊長官;海相;首相。



生年
慶応4年1月21日(1868年)

没年
昭和27(1952)年10月17日

出生地
越前国(福井県)

学歴〔年〕
海兵(第15期)〔明治22年〕卒,海大〔明治34年〕卒

経歴
日露戦争に春日副艦長として日本海海戦に参戦。その後、海大教官、水雷学校長、春日・鹿島各艦長などを経て、大正4年海軍省人事局長、6年佐世保工廠長、9年艦政本部長、12年海軍次官などを歴任。13年6月海軍大将、軍事参議官、同年12月連合艦隊長官、15年横須賀鎮守府長官。昭和2年田中義一内閣の海相となるが、4年張作霖爆殺の“満州某重大事件”で辞職し、軍事参事官。5年のロンドン海軍軍縮会議では省内のまとめ役をつとめ、条約調印にこぎつける。7年再び斎藤実内閣の海相をつとめ、9年首相に就任。11年2.26事件で青年将校に襲われ、危うく助り、内閣総辞職。のち重臣として対米開戦に反対、東条内閣打倒に努力した。自伝に「岡田啓介回顧録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「岡田 啓介」の解説

岡田 啓介 (おかだ けいすけ)

生年月日:1868年1月21日
明治時代-昭和時代軍人;政治家。首相
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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