岩国(市)(読み)いわくに

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩国(市)」の意味・わかりやすい解説

岩国(市)
いわくに

山口県の東端に位置する工業都市。1940年(昭和15)岩国、麻里布(まりふ)の2町と川下(かわしも)、愛宕(あたご)、灘(なだ)の3村が合併して市制施行。1955年小瀬(おぜ)、藤河、御庄(みしょう)、南河内(ごうち)、北河内、師木野(しぎの)、通津(つづ)の7村を編入した。さらに2006年(平成18)には由宇(ゆう)、玖珂(くが)、周東(しゅうとう)、錦(にしき)、美川(みかわ)、美和(みわ)の6町と本郷村(ほんごうそん)を合併、当時の面積が872.52平方キロメートルと約4倍に増加、県の市町村で最大となった。県下一の長流錦川の中流域と下流域にあたり、旧市域は河口部の三角州平野を占める。国道2号、187号、188号、189号、376号、434号、437号、山陽自動車道、広島岩国道路、JR山陽本線、東海道・山陽新幹線が通り、JR岩徳(がんとく)線、錦川鉄道を分岐する。岩国飛行場(岩国錦帯橋空港)には羽田、那覇との間に便がある。

 古くは『万葉集』に「磐国(いわくに)山」「麻里布の浦」とみえ、『和名抄(わみょうしょう)』に「石国郷」、『延喜式(えんぎしき)』に「石国駅」とあり、古代の山陽大路に沿う周防(すおう)国の要地をなした。中世には室町院御領の一つで「石国御庄」とよばれ、近世には萩(はぎ)藩岩国領となり、吉川(きっかわ)氏6万石の城下として発展し、沿岸の麻里布、川下、尾津にかけて約1100ヘクタール余の干拓新田が造成された。岩国の工業化は大正末年帝国人絹(現、帝人)の設置に始まり、昭和初期に東洋紡績(現、東洋紡)、山陽パルプ(現、日本製紙)などの進出をみ、第二次世界大戦中、一時的に陸軍燃料廠(しょう)や海軍航空廠もあったが、戦後いち早く、県境を越えて広島県大竹市も含む小瀬川三角州に先進的な石油化学コンビナートが成立した。旧城下町の横山、錦見地区は国の名勝錦帯橋(きんたいきょう)を中心に吉香(きっこう)公園、再建された岩国城、錦川の鵜飼(うかい)などがあり、臨海工業地をもつ麻里布地区は岩国駅前に新市街地が発達し、官公庁も集まって、行政、経済の中心をなす。川下地区には572万平方メートルを占める米軍基地があり、その需要に応ずる今津、川下商店街には横文字の氾濫(はんらん)する異国的景観がみられる。南部沿岸の藤生(ふじう)、通津地区は旭化成(あさひかせい)の新工場が建設され(現、旭化成建材)、由宇町地区にも自動車関連の工場が進出し、周東町地区などの丘陵地では住宅団地の開発が進んでいる。北部の山村地帯では林業が盛んで、特産品としてシイタケコンニャクイモがある。

 岩国三角州一帯のシロヘビや錦川中流のカジカガエル生息地は国の天然記念物に指定され、北河内の「岩国行波(ゆかば)の神舞」は国の重要無形民俗文化財、横山の「岩国南条踊」、美和町地区の「山代白羽神楽(やましろしらばねかぐら)」は県の無形民俗文化財で地方色豊かな民俗を伝えている。面積873.72平方キロメートル、人口12万9125(2020)。

[三浦 肇]

『『岩国市史』上下(1970、1971・岩国市)』『『岩国市史』4冊(2001~2004・岩国市)』


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