工藤 光園(読み)クドウ コウエン

20世紀日本人名事典 「工藤 光園」の解説

工藤 光園
クドウ コウエン

大正・昭和期の華道家



生年
明治25(1892)年9月13日

没年
昭和46(1971)年9月7日

出生地
福島県

本名
角地 かね

学歴〔年〕
三輪田高女〔明治43年〕卒

経歴
大正元年関孝治と結婚、13年死別。5年から小原流平一鴬に生花を習い、のち2代家元小原光雲に師事して号を光園とした。昭和4年小原流工藤光州と再婚したが同年死別、光州主宰の研美会を継いだ。小原流東京国風会の幹部として東京花道界で活躍し、11年女流として初めての個展を一ツ橋如水会館で開催。以後小原流の長老として長らく東京花道界に重きをなした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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