工藤 忠(読み)クドウ チュウ

20世紀日本人名事典 「工藤 忠」の解説

工藤 忠
クドウ チュウ

明治〜昭和期の大陸浪人,陸軍中将 満州国侍従武官・宮内侍衛処長。



生年
明治15(1882)年12月10日

没年
昭和40(1965)年2月23日

出生地
青森県板柳町

本名
工藤 鉄三郎(クドウ テツサブロウ)

別名
別名=鉄石

学歴〔年〕
錦城中学校〔明治36年〕卒,専修学校(現・専修大学)中退

経歴
東奥義塾を中退して上京し、錦城中学校に入学。在学中、新聞人の陸羯南に接し、その影響で中国大陸に目を向ける。明治36年中学を卒業。39年樺太より徒歩でシベリアに渡り中国を周遊、以後たびたび大陸に渡り、中国の実状を観察するなど中国の革命運動に取り組むようになった。大正3年武漢革命が起こると蔣介石と共に南京城に籠城し、6年の第三革命では1万5千の中国人を率いて山東省で蜂起、またシベリアや甘粛省でも活躍した。のち清朝復興を志し、昭和6年天津に軟禁されていた清朝最後の皇帝溥儀救出に成功。昭和7年満州国が建国されると陸軍中将・執政府侍従武官・宮内侍衛処長となって溥儀の側近くに仕え、その信頼を得て“忠”の名を賜った。しかし中国人の利益を第一に考えたため、軍部に疎まれて16年宮内府顧問官に左遷、17年に帰国し近衛文麿らと謀って中国国民党との停戦画策戦後は社団法人全一教本部長や社団法人全真協会会長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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