左宗棠(読み)さそうとう(英語表記)Zuǒ Zōng táng

精選版 日本国語大辞典 「左宗棠」の意味・読み・例文・類語

さ‐そうとう ‥ソウタウ【左宗棠】

中国、清代末期の武将政治家。字(あざな)は季高。諡(おくりな)は文襄。太平天国の乱の鎮圧に功を立て、福州に中国最初の近代的造船所設立。後、捻軍(ねんぐん)・回民(イスラム教徒)の反乱を討伐したが、対露係争で意見がいれられず辞職。また、フランス軍の福建侵入に際しての和議成立に尽力した。著に「左文襄公全集」がある。(一八一二‐八五

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デジタル大辞泉 「左宗棠」の意味・読み・例文・類語

さ‐そうとう〔‐ソウタウ〕【左宗棠】

[1812~1885]中国、しん末の政治家。あざなは季高。湖南省湘陰の人。曽国藩そうこくはんの下で太平天国の乱を平定し、のち福州に近代的造船所を設けて洋務運動を推進した。また、新疆しんきょうのイスラム教徒の反乱を鎮圧した。

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改訂新版 世界大百科事典 「左宗棠」の意味・わかりやすい解説

左宗棠 (さそうとう)
Zuǒ Zōng táng
生没年:1812-85

中国,清末の軍人,官僚。字は季高。湖南省湘陰県の人。道光12年(1832)挙人。会試には合格せず郷里で学問をしていた。太平天国の反乱に際し52年(咸豊2)以来,湖南巡撫の幕下で各地の蜂起鎮圧にはたらき注目された。60年曾国藩推挙湘軍を率いて太平軍と戦い,翌年浙江巡撫,63年(同治2)閩浙(びんせつ)総督となっておもに浙江省を転戦,杭州を回復し66年までに福建,広東の太平軍残党を制圧した。この間英仏軍の協力をうけ,またフランス人の援助を得て福州の馬尾に造船所(福州船政局)を作り海軍の創設に努め,洋務運動の先駆となった。ついで陝甘総督となり68年西捻軍を71年西北の回族反乱を鎮圧し,さらにコーカンドのイスラム教徒ヤークーブ・ベクの独立運動を抑えて新疆を確保した。ロシアがイリ地方に進めた軍隊を引かず緊張が高まると彼は主戦論を唱え,外交交渉を主とする政府と対立して北京の閑職に移された。イリ条約締結後81年(光緒7)両江総督兼南洋大臣となったが,まもなく病気で辞任,84年清仏戦争で再び起用され福建に赴いた。フランス軍の攻撃で福建艦隊は壊滅し,翌年福州で病死した。著書に《左文襄公全集》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「左宗棠」の意味・わかりやすい解説

左宗棠
さそうとう
Zuo Zong-tang; Tso Tsung-t`ang

[生]嘉慶17(1812)
[没]光緒11(1885)
中国,清末の軍人,政治家。字は季高。諡は文襄。湖南省湘陰県の人。道光 12 (1832) 年に挙人となり,中年まで不遇であったが胡林翼の知遇を得て,咸豊2 (52) 年,太平天国の湖南進出に際し長沙の防衛戦で認められた。以後,曾国藩の指揮のもとに団練を編成,みずからの編成になる「楚勇 (→楚軍 ) 」を率いて湖南,江西,安徽に転戦。同 11年浙江巡撫,同治2 (63) 年 閩浙 (びんせつ) 総督となり,浙江,福建地区の太平軍を鎮圧,曾国藩,李鴻章と並ぶ清朝の重臣となった。同5年,陝甘総督に転じ,陝西,甘粛のイスラム教徒反乱鎮圧に従事,光緒1 (75) 年以後,欽差大臣として新疆のヤクブ・ベク反乱を鎮圧,同3年平定した。この間ロシアのイリ (伊犂) 地区占領 (イリ事件) に対して,強硬策を主張したため同6年閑職に移され,翌年,両江総督となり,同9年辞した。清仏戦争に際して,同 10年福建方面の総司令官として赴任し,翌年任地で病死。なお,福州に近代的造船所,蘭州に毛織物工場を創設するなど,洋務運動 (→洋務派 ) の中心人物の一人でもあった。

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百科事典マイペディア 「左宗棠」の意味・わかりやすい解説

左宗棠【さそうとう】

中国,清末の軍人,政治家。湖南省の人。1852年以後太平天国の乱に当たり曾国藩の湘(しょう)軍を指揮し,フランス軍の援助もあって鎮圧した。功により【びん】浙(びんせつ)総督となり,1866年福州馬尾に中国最初の官営造船所(船政局)を設立し洋務運動の先駆となる。同年陝甘(せんかん)総督となり回族・捻匪(ねんぴ)の乱を平定。1876年欽差大臣として新疆回族の乱を平定(イリ条約)。1884年清仏戦争勃発に際し,和平交渉に当たった。
→関連項目捻軍ヤークーブ・ベク

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「左宗棠」の意味・わかりやすい解説

左宗棠
さそうとう
(1812―1885)

中国、清(しん)末の政治家。字(あざな)は季高、諡(おくりな)は文襄(ぶんじょう)。湖南省湘陰(しょういん)県の挙人で、太平天国軍に対して団練(だんれん)を組織して功をあげ、のち曽国藩(そうこくはん)の推挙によって浙江巡撫(せっこうじゅんぶ)、ついで閩浙(びんせつ)総督となり、楚(そ)軍を率いて福建、浙江を回復した。この経験から近代的な軍備の重要性を認識し、福州に造船所(馬尾船政局)を建設して洋務運動の先駆となった。ついで陝甘(せんかん)総督として捻軍(ねんぐん)ならびにイスラム教徒(回民)軍を鎮圧して協弁大学士に昇り、また蘭州(らんしゅう)に機械制毛織物工場などを創立した。1875年欽差(きんさ)大臣として東トルキスタンのイスラム支配者ヤクブ・ベクの反乱を平定し、77年新疆(しんきょう)省の設置を上奏して承認され、水路の掘削、租税整理、城堡(じょうほ)の建設などを進めて、新疆の開発と確保に貢献。当時イリ地方を占領していたロシアに対して、彼は武力対決を主張したがいれられず、北京(ペキン)に召還された。81年軍機大臣として両江総督兼通商事務大臣に任ぜられたが、清仏戦争に際し、彼が建設した福建の海軍は壊滅し、失意のうちに福州で病死した。著書に『左文襄公全集』がある。

[小島晋治]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「左宗棠」の解説

左宗棠(さそうとう)
Zuo Zongtang

1812~85

清末の政治家。湖南省湘陰(しょういん)県の人。1832年挙人に合格。52年から太平天国の討伐に従事し,功により閩浙(びんせつ)総督となり,66年福州に中国最初の官営造船所(福州船政局)を建設。同年,陝甘(せんかん)総督に任じられてイスラーム教徒の反乱(回民起義(きぎ))を平定し,76年には新疆(しんきょう)の反乱を平定した。

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世界大百科事典(旧版)内の左宗棠の言及

【回教徒蜂起】より

…ウイグル人ヤークーブ・ベクは,65年に清朝軍を撃ってカシュガルに進入し,ドゥンガンをも圧して西部4城にイスラム政権を樹立し,ロシアはこの機に乗じてイリを占領した。ドゥンガンの反乱は77年(光緒3)までに左宗棠により討滅され,新疆はその後清朝の植民地統治を受けた。また1858年(咸豊8)から72年(同治11)にかけ,貴州省では普安などで金万照らを首領とする蜂起(白旗と自称)が起っている。…

【官営工業】より

…なかでも,同治年間(1862‐74)に開始された武器製造を主な目的とする国営工場が著名。太平天国を鎮圧した勢いを背景に,両江総督曾国藩,江蘇巡撫李鴻章,浙江巡撫左宗棠などの漢人官僚が台頭し,みずからの実力を蓄えるために,各地に軍需工場を設立した。1863年,曾国藩は安慶軍械所を設立し,西洋人技師を雇用せずに火器・小型汽船の製造を開始した。…

【郷勇】より

…郷勇は兵乱終息とともに解散するのが原則であり,曾国藩は1864年(同治3)湘軍を解散したが,淮軍はひきつづき清朝の軍事的支柱として維持され,李鴻章の権勢を保障した。湘軍も左宗棠など湘軍出身の大官僚によって実質上継承されていたが,日清戦争においてまず淮軍が壊滅し,ついで湘軍系も馬脚を現したことによって,非正規の郷勇が正規軍を代行する時期は終わった。しかし袁世凱や段祺瑞が体現するように,淮軍は直接間接にのちの北洋軍閥につながり,湘軍系や各地の郷勇もまた近代中国における大小の地方軍閥の先駆となったのである。…

【洋務運動】より

…洋務の語はそれまで〈夷務〉と称され,清朝と諸外国との関係・交渉の事務いっさいを指していたが,アヘン戦争以降,洋務は,魏源林則徐馮桂芬(ふうけいふん),王韜(おうとう)(1828‐97)によって唱えられるようになり,中学を体(本体)とし西洋を用(作用)とする中体西用論を旨とした欧米の文物の摂取,受容をその内容とする。そして曾国藩,李鴻章,左宗棠(さそうとう)などの有力督撫(総督・巡撫)によって推進された洋務運動は,初期には太平天国対策や辺境防備など軍事力の増強に力が入れられ,やがて教育や実業などの各方面にも及んでいった。 洋務の推進は,まず清朝政府が1861年(咸豊11),北京に総理衙門(そうりがもん)を設立したことに始まる。…

※「左宗棠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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