市川団十郎(7代)(読み)いちかわ・だんじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「市川団十郎(7代)」の解説

市川団十郎(7代)

没年:安政6.3.23(1859.4.25)
生年:寛政3.4(1791)
江戸後期の歌舞伎役者。芝居茶屋和泉屋勘十郎と5代目団十郎の次女すみの子。幼名小玉。市川新之助,同ゑび蔵を経て寛政12(1800)年に団十郎を襲名。のちに海老蔵に戻る。俳名三升,白猿,二九亭,夜雨庵,寿海老人,子福長者など。別名市川白猿,成田屋七左衛門,幡谷重蔵など。団十郎家伝来の荒事をはじめとして時代物,世話物を問わず,実事,実悪,敵役,老役,和事から女形に至るまで広く巧みに演じた。所作事にも長じ,4代目鶴屋南北(大南北)の生世話物の役々にも個性を発揮した。文化文政期を中心とした後期江戸歌舞伎界の中心的存在であった。当たり役も多い。 天保3(1832)年,海老蔵改名と同時に団十郎家累代の当たり芸の集成「歌舞伎十八番」を制定公表した。同11年能楽の演出を大幅に取り入れた『勧進帳』を創演して明治に流行する松羽目物への道を拓いた。同13年,天保改革の奢侈禁止令に触れ江戸十里四方追放となるが,嘉永2(1849)年赦免。追放中を含めて数度京坂の劇場に出演した以外にも,西は長崎に至るまで各地を巡って舞台に立ったのは従来の団十郎にない精力的な活動である。祖父5代目団十郎以来の江戸文化人グループの熱烈な支援を受けるとともに,自身も文筆に親しみ『遠く見ます』『しもふさの身旅喰』『遊行やまざる』『腰かけざる』などの旅行記,句文集を著し,多くの書画を残している。名目のみにせよ合巻の作も相当ある。

(池上文男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川団十郎(7代)」の解説

市川団十郎(7代) いちかわ-だんじゅうろう

1791-1859 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政3年4月生まれ。5代市川団十郎の外孫。寛政12年7代を襲名。家芸の荒事(あらごと)のほか,4代鶴屋南北の生世話物(きぜわもの)なども好演。天保(てんぽう)3年歌舞伎十八番を制定。13年改革令にふれて江戸を追放され,上方などを巡業した。安政6年3月23日死去。69歳。江戸出身。初名は市川新之助。後名は市川海老蔵(えびぞう)(5代)。俳名は三升,白猿。屋号は成田屋。

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