歌舞伎(かぶき)俳優。屋号成田屋。
初世(1660―1704)武門の出身で姓は堀越。江戸生まれで、父は「菰(こも)の重蔵」とよばれた人。通説によれば14歳のとき初舞台。市川家の「家の芸」として今日まで伝承されている荒事(あらごと)芸の創始者とされ、元禄(げんろく)期(1688~1704)の江戸の歌舞伎界を代表する名優であった。劇作も兼ね、市川団十郎または三升屋兵庫(みますやひょうご)の署名のある狂言本十数編を残す。怨恨(えんこん)のため、俳優生島(いくしま)半六に舞台で刺殺された。
2世(1688―1758)初世の長男。父の死後16歳で2世を襲名。容貌(ようぼう)、体格とも父に似て、たいへんな芸熱心であったので、江戸劇壇における市川家の確固たる地位を築いた。俳諧(はいかい)や狂歌をたしなみ、文人との交際も広かった。『助六』に和事(わごと)味を加え、今日みるスタイルの原型を創造した。1735年(享保20)海老蔵(えびぞう)と改め、以後長く舞台を勤めた。
3世(1721―1742)2世の養子。1735年(享保20)3世を襲名したが、数年にして没した。
4世(1711―1778)初世松本幸四郎の養子。父は芝居茶屋和泉屋(いずみや)勘十郎と伝えるが、実は2世団十郎ともいう。1754年(宝暦4)2世幸四郎から4世を襲名。初め実悪(じつあく)の俳優であったが、晩年は実事(じつごと)をも得意とした。1775年(安永4)に引退後、5世団十郎や初世中村仲蔵らを木場の自宅に招き、修行講と称する演技研究会を開き、「木場の親玉」の名で慕われた。
5世(1741―1806)4世の子。1770年(明和7)3世松本幸四郎から5世を襲名。これまでの団十郎が勤めなかった役柄を広く演じた実力者で、岩藤や累(かさね)などの女方(おんながた)も演じた。1796年(寛政8)舞台を退いて向島の反古庵(ほごあん)に隠居し、成田屋七左衛門と名のって閑雅な生活を送った。狂歌名は花道のつらね。立川焉馬(たてかわえんば)や蜀山人(しょくさんじん)ら当時一流の文化人と交際が広かった。
6世(1778―1799)5世の養子。1791年(寛政3)に6世を襲名したが、早世。
7世(1791―1859)5世の孫。1800年(寛政12)10歳で7世を襲名。文化・文政期(1804~1830)から安政(あんせい)(1854~1860)に至るまで活躍した名優で、荒事、実事、実悪、和事、色悪(いろあく)などの広い役柄をこなし、4世鶴屋南北(つるやなんぼく)作の生世話(きぜわ)にも所作事(しょさごと)にも優れていた。1842年(天保13)6月、改革令に触れて江戸十里四方追放に処せられ、上方(かみがた)の芝居に出ていたが、1849年(嘉永2)赦免となって江戸に帰った。1832年(天保3)に長男に8世を継がせ、自身は5世海老蔵を名のった。『勧進帳』を初演し、また、「歌舞伎十八番」を制定、公表した。
8世(1823―1854)7世の長男。1832年(天保3)に6世海老蔵から8世を襲名。若くして技芸優れ、美貌(びぼう)であったため江戸人の熱狂的支持を受けたが、32歳の若さで大坂で自殺。『切られ与三(よさ)』が当り芸であった。
9世(1838―1903)7世の五男。生まれてすぐに6世河原崎権之助(かわらさきごんのすけ)の養子になったが、のち実家に帰り、1874年(明治7)河原崎三升(さんしょう)から9世を襲名した。明治期劇界の第一人者。のちに「劇聖」と崇(あが)められた名優で、とくに演劇改良運動の中心人物となって活躍、「活歴(かつれき)」とよぶ史劇を始めたことが特筆に価する。また登場人物の性格や心理を研究して、内向的に表現する「肚芸(はらげい)」とよぶ演技術を開拓するなど、近代歌舞伎に与えた影響は非常に大きい。明治36年9月13日没。長女翠扇(すいせん)(2世)の婿が10世団十郎、次女旭梅(きょくばい)の婿が5世市川新之助で、新派女優3世市川翠扇(前名紅梅、1913―1974)はその子、すなわち9世の孫。
10世(1882―1956)9世の女婿。堀越福三郎から5世市川三升(さんしょう)となり、没後に10世を追贈。
11世(1909―1965)本名堀越治雄。7世松本幸四郎の長男。10世の養子となり、9世海老蔵から1962年(昭和37)に11世を襲名した。海老蔵時代には「海老さま」の愛称でよばれ、天性の美貌と花のある芸風が広く人気を集めた。待望久しくして11世団十郎を襲名し、人気はいよいよ高まったが、襲名後わずか3年、昭和40年11月10日に没した。
12世(1946―2013)本名堀越夏雄。11世の長男。1953年(昭和28)市川夏雄を名のり初舞台。6世新之助(1958)、10世海老蔵(1969)を経て、1985年4月、12世を襲名した。美貌と明るい芸風で、平成歌舞伎を代表する立役(たちやく)として活躍した。長男が11世市川海老蔵(1977― )である。
[服部幸雄]
『伊原青々園著『団十郎の代々』(1917・市川宗家)』▽『金沢康隆著『市川団十郎』(1962・青蛙房)』▽『服部幸雄著『市川団十郎』(1978・平凡社)』▽『西山松之助著『市川団十郎』新装版(1987・吉川弘文館)』▽『利根川裕著『十一世市川団十郎』(朝日文庫)』