市川左団次(初代)(読み)いちかわ さだんじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市川左団次(初代) いちかわ-さだんじ

1842-1904 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)13年10月28日生まれ。大坂の床山(とこやま)の子。4代市川小団次の養子。河竹黙阿弥(もくあみ)の後援をうけ明治3年「慶安太平記」の丸橋忠弥(ちゅうや)から人気を得,9代市川団十郎,5代尾上菊五郎とともに「団菊左」とならび称された。26年明治座を発足させ座元。明治37年8月7日死去。63歳。本名は高橋栄三。前名は市川小米,升若。俳名は莚升,松蔦。屋号は高島屋

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朝日日本歴史人物事典の解説

市川左団次(初代)

没年:明治37.8.7(1904)
生年:天保13.10.19(1842.11.21)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名莚升のちに松蔦。屋号高島屋。床山の新駒屋清吉の次男で,本名高橋栄三。13歳で4代目市川小団次に入門して市川小米,升若を名乗る。元治1(1864)年に小団次の養子となり,左団次と改名。養父の没後に一時廃業したが,2代目河竹新七(のちの黙阿弥)の後援で舞台に復帰し,明治3(1870)年に守田座の黙阿弥の新作「樟紀流花見幕張」(通称「慶安太平記」)の丸橋忠弥役で絶賛を受け人気役者となった。以後,黙阿弥の新作史劇で活躍し,団菊左と並び称される地位を築いた。26年,日本橋浜町の千歳座を買収して明治座と改称し,自ら座元,座頭として開場,ここを拠点に新作史劇を上演して,団菊の歌舞伎座に対抗した。32年に明治座で上演された松居松葉作「悪源太」は初代左団次が依嘱した作品で,新歌舞伎の初めての演目である。狂言作者以外の劇場外の文学者の脚本が上演された嚆矢で,その意義は大きい。<参考文献>2代目市川左団次『父左団次を語る』,伊原敏郎『明治演劇史』

(藤波隆之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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