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市川左団次(2代) いちかわ さだんじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市川左団次(2代) いちかわ-さだんじ

1880-1940 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治13年10月19日生まれ。初代市川左団次の長男。明治17年初舞台。39年明治座で2代を襲名。42年小山内薫と自由劇場を創立する。とだえていた歌舞伎十八番の「毛抜」などを復活上演。岡本綺堂(きどう)らの新作を初演した。昭和15年2月23日死去。61歳。東京出身。本名は高橋栄次郎。初名は市川ぼたん。前名は市川小米,莚升。俳名は杏花。屋号は高島屋。
【格言など】今できないことは十年たってもできまい。思いついたことはすぐやろうじゃないか(むずかしい演技を実行にうつすときに)

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朝日日本歴史人物事典の解説

市川左団次(2代)

没年:昭和15.2.23(1940)
生年:明治13.10.19(1880)
歌舞伎役者。俳名杏花,松莚。初代左団次の長男。本名高橋栄次郎。東京築地生まれ。明治17(1884)年,4歳のとき市川ぼたんの芸名で初舞台。小米,莚升を経て,明治39年に明治座での父の追善興行で2代目を襲名。同年末から劇作家松居松葉と渡欧して強い刺激を受け,帰国後の42年2月に小山内薫と共に自由劇場を創立,11月イプセン,ゴーリキーなどの翻訳劇を上演して,黎明期の新劇運動の先駆的役割を担った。一方,「毛抜」「鳴神」など絶えていた歌舞伎十八番や,4代目鶴屋南北の演目を文芸家の協力を得て復活した。また岡本綺堂,岡鬼太郎,真山青果らの新歌舞伎作品を上演し,自ら初演したこれらの新歌舞伎作品から「杏花戯曲十種」を制定した。骨太の男性的な芸風で,新旧を問わず輪郭の大きな演技に特徴があった。劇場内外の旧弊の改革を実践し,昭和3(1928)年に一座を率いてソ連公演を行うなど,近代演劇史に残した足跡は大きい。<参考文献>松井桃楼編『市川左団次

(藤波隆之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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