20世紀日本人名事典 「布施 辰治」の解説
布施 辰治
フセ タツジ
明治〜昭和期の弁護士,社会運動家
- 生年
- 明治13(1880)年11月13日
- 没年
- 昭和28(1953)年9月13日
- 出生地
- 宮城県牡鹿郡蛇田村(現・石巻市)
- 学歴〔年〕
- 明治法律学校(現・明治大学)〔明治35年〕卒
- 経歴
- 判検事試験に合格、司法官試補となり宇都宮地裁に赴任したが、1年で辞任、明治36年弁護士となる。大正中期から数多くの労働・農民・水平・無産運動被告の弁護、救援活動、人権擁護運動に活躍。44年の東京市電争議、大正7年の米騒動、亀戸事件、朴烈大逆事件、再三弾圧にあった共産党事件など、官憲と対決する姿勢を貫く。捜査機関の被疑者に対する拷問による自白強要を激しく攻撃する論文を公表、このため2度も検挙され服役し、昭和7年には弁護士資格を奪われた。敗戦により資格復活、自由法曹団顧問、三鷹事件弁護団長などを務める。ほかにプラカード事件、松川事件、メーデー事件の弁護人も務めた。著書に「噫々刑事裁判の時弊 司法機関改善論」「法廷より社会へ 生きんが為に」「死刑囚十一話」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報