平岡円四郎(読み)ひらおか・えんしろう

朝日日本歴史人物事典 「平岡円四郎」の解説

平岡円四郎

没年元治1.6.16(1864.7.19)
生年:文政5.10.7(1822.11.20)
幕末幕臣。嘉永6(1853)年12月,川路聖謨,藤田東湖に推され一橋家小姓となり徳川(一橋)慶喜近侍将軍継嗣問題では慶喜擁立を工作,安政の大獄で差控,甲府勝手小普請に左遷さる。慶喜の将軍後見職就任に伴い,文久3(1863)年一橋家用人となり上洛。翌元治1(1864)年5月15日一橋家家老となる。「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り,幕府に在るべくして在らず一橋に在り,一橋に在るべくして在らず平岡・黒川に在り」と評される。奸臣とみなされ,同年,水戸藩士の手にかかり殺害された。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平岡円四郎」の解説

平岡円四郎 ひらおか-えんしろう

1822-1864 江戸時代後期の武士
文政5年生まれ。幕臣で,一橋慶喜(ひとつばし-よしのぶ)につかえる。将軍継嗣問題で一時左遷され,慶喜の復権とともに一橋家用人となるが,水戸藩攘夷(じょうい)派に元治(げんじ)元年6月16日京都で暗殺された。43歳。江戸出身。本姓岡本。名は方中。字(あざな)は円外。

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367日誕生日大事典 「平岡円四郎」の解説

平岡円四郎 (ひらおかえんしろう)

生年月日:1822年10月7日
江戸時代末期の幕臣
1864年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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