平泉(町)(読み)ひらいずみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平泉(町)」の意味・わかりやすい解説

平泉(町)
ひらいずみ

岩手県南部、西磐井郡(にしいわいぐん)の町。1953年(昭和28)町制施行。1955年長島(ながしま)村を合併。町内中央部を南流する北上(きたかみ)川に沿って耕地が開け、東部の長島地区はリンゴ栽培が盛ん。西部の丘陵地帯は山林で占められている。歴史と観光の町として有名。JR東北本線、国道4号、東北自動車道が通じ、奥州(おうしゅう)市にまたがって平泉前沢インターチェンジがある。

 801年(延暦20)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の蝦夷(えぞ)征討以来、奥州鎮定の要所の一つとなった。その後安倍頼時(あべのよりとき)がこの地方を領し、前九年・後三年の役後の1094年(嘉保1)頼時の外孫藤原清衡(きよひら)が居館を豊田(とよだ)城(奥州市)から平泉に移し平泉館(たち)とよばれる政庁を構え、奥州・出羽(でわ)の支配権を確立した。以後1189年(文治5)源頼朝(よりとも)に滅ぼされるまで清衡、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の3代100年にわたる平泉文化が花開くことになる。藤原氏滅亡後は鎌倉御家人(ごけにん)の葛西(かさい)氏らによる支配を経て、江戸時代は仙台藩伊達(だて)氏の所領となった。

 清衡は中尊寺を、基衡は毛越寺(もうつうじ)を、基衡の妻は観自在王院を、秀衡は無量光院を建立した。建物はほとんど焼失したが、現在も北上川とその支流衣(ころも)川、太田川に囲まれた丘陵地とその周辺に中尊寺金色(こんじき)堂(国宝)をはじめ、毛越寺跡・中尊寺境内(特別史跡)、毛越寺庭園(特別名勝)、無量光院跡(特別史跡)、観自在王院跡、高館(たかだち)(衣川館(たち))跡など多くの史跡があり、一帯ユネスコの世界遺産に登録される。中尊寺讃衡蔵(さんこうぞう)、平泉文化史館、平泉文化遺産センター、毛越寺宝物館など歴史資料・文化財を収蔵する施設も多い。毛越寺の延年の舞(えんねんのまい)は重要無形民俗文化財。太田川上流には坂上田村麻呂にまつわる達谷窟(たっこくのいわや)がある。毎年5月1~5日、11月1~3日には、町をあげて藤原祭りが行われる。年間の観光客は200万人を超える。面積63.39平方キロメートル(一部境界未定)、人口7252(2020)。

[金野靜一]


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