平秩東作(読み)へずつとうさく

精選版 日本国語大辞典 「平秩東作」の意味・読み・例文・類語

へずつ‐とうさく ヘヅツ‥【平秩東作】

江戸後期狂歌師儒者戯作者本名立松懐之。通称稲毛屋金右衛門。別号東蒙(とうもう)嘉穂庵。江戸の人。和漢の学を好み天明狂歌壇では最古参の一人。平賀源内とも親交があり、江戸文芸の草分け的存在。幕府の事業にも手をそめるが、寛政の改革により、幕府の咎めを受ける。著「莘野茗談(しんやめいだん)」「当世阿多福仮面」など。享保一一~寛政元年(一七二六‐八九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「平秩東作」の意味・読み・例文・類語

へずつ‐とうさく〔へづつ‐〕【平秩東作】

[1726~1789]江戸中期の狂歌師・戯作者。江戸の人。本名、立松懐之。通称、稲毛屋金右衛門。号、東蒙とうもう。戯作「当世阿多福仮面」、随筆莘野茗談しんやめいだん」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「平秩東作」の意味・わかりやすい解説

平秩東作 (へずつとうさく)
生没年:1726-89(享保11-寛政1)

江戸後期の狂歌師,戯作者,儒者。本名は立松懐之。字は子玉。通称は稲毛屋金右衛門。別号は秩都紀南子,東蒙,嘉穂庵。江戸内藤新宿の馬宿・煙草屋で,幼時から家業を助けるかたわら学問に励む。内山賀邸門下では四方赤良(よものあから),唐衣橘洲(からごろもきつしゆう),朱楽菅江(あけらかんこう)などと同門で,天明狂歌における古参狂歌師であり,その間戯作や浄瑠璃儒学まで幅広く手がけた。一方事業家としては伊豆天城山の炭を売りひろめたり,北海道で越冬したりして,世人から山師と目された。編著読本《水濃行方》,滑稽本《当世阿多福仮面》,紀行《東遊記》,洒落本《駅舎三友》,狂歌《狂歌師細見》《狂歌百鬼夜狂》,随筆《莘野茗談(しんやめいだん)》等。〈男なら出て見よ雷(らい)に稲光(いなびかり)横に飛ぶ火の野辺夕立〉(《万載狂歌集》)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「平秩東作」の意味・わかりやすい解説

平秩東作【へずつとうさく】

江戸後期の狂歌作者。本名は立松懐之。平秩東作は《書経》に由来する筆名。通称,稲毛屋金右衛門。内藤新宿の馬借の子に生まれ,炭焼事業を試みて失敗したり蝦夷に渡って越冬するなど山師的な事歴が知られる。平賀源内大田南畝唐衣橘洲と知り合い,天明狂歌壇の長老の一人として活躍。狂歌集《百鬼夜狂》を編んだほか,秩都紀南子(ちょっときなんし)の名による洒落本《駅舎三友》や,随筆《【しん】野茗談(しんやめいだん)》がある。
→関連項目狂歌談義本

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

朝日日本歴史人物事典 「平秩東作」の解説

平秩東作

没年:寛政1.3.8(1789.4.3)
生年:享保11(1726)
江戸中期の戯作者。江戸内藤新宿で煙草屋を営む傍ら狂歌,戯作を好み,その流行の端緒を開いたひとりである。本名は立松懐之,通称は稲毛屋金右衛門という。若年時は経学,詩文の勉強に励んだらしいことは「平秩東作」の狂名にもあらわれている。平賀源内,大田南畝らと親しく,一方で田沼意次政権にも深くかかわって事業を起こしたり,蝦夷地探索に従事するなど,一筋縄ではいかぬ人物像を示している。源内,南畝と共にいわゆる江戸戯作の草分け的存在であり,内に深い学識と野心を秘めて,一方で狂歌や戯作に打ち興じるあたり,前期戯作者の一典型でもある。<参考文献>井上隆明『平秩東作の戯作的歳月』

(中野三敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平秩東作」の意味・わかりやすい解説

平秩東作
へずつとうさく

[生]享保11(1726).江戸
[没]寛政1(1789).3.8. 江戸
江戸時代中期~後期の狂歌師,戯作者,儒者。本名,立松 (たてまつ) 懐之。字,子玉。別号,東蒙,嘉穂 (かすい) 。通称,稲毛屋金右衛門。内藤新宿で家業の馬宿,たばこ商を営んだ。平賀源内,大田南畝,唐衣橘洲 (からごろもきっしゅう) らと交遊し,天明狂歌壇に活躍した。滑稽本『水濃往方 (みずのゆくえ) 』 (1765) ,随筆『しん野茗談 (しんやめいだん) 』 (88?) などの作がある。天城山の炭焼きを企業化しようとして失敗するなど,世間から山師と呼ばれるような面もあった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の平秩東作の言及

【大酒大食会】より

…当時古今稀有(けう)の大酒とうたわれた江戸大塚の地黄坊樽次と武州大師河原の大蛇丸底深とがそれぞれ酒友門人をひきいて酒量を競い合ったもので,一方の大将であった樽次こと医師茨木春朔がその模様を《水鳥記》なる戯文にものしている。1815年(文化12)10月江戸千住の中屋六右衛門宅での酒戦記は平秩東作(へずつとうさく)が書いているが,17年3月23日に江戸柳橋の料亭万八楼で開かれたものは,まさに興行の名にふさわしい大酒大食会であった。この会は酒,菓子,飯,うなぎ,そばの5組に分かれて量を競ったが,それぞれの最高は,酒が3升入り杯で6杯半,菓子はまんじゅう50,ようかん7さお,薄皮餅30,飯は〈常の茶漬茶碗にて万年味噌にて茶づけ香の物ばかり〉で68杯,うなぎはこれも茶漬にしたが,代価金1両2分の蒲焼と飯が7杯,そばは平盛りの二八そばで63杯であったと,書家の関東陽が《兎園小説》に書いている。…

※「平秩東作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android