20世紀日本人名事典 「幸田 文」の解説
幸田 文
コウダ アヤ
- 生年
- 明治37(1904)年9月1日
- 没年
- 平成2(1990)年10月31日
- 出生地
- 東京府南葛飾郡向島寺島(現・東京都墨田区)
- 学歴〔年〕
- 女子学院〔大正11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 読売文学賞(第7回・小説賞)〔昭和30年〕「黒い裾」,新潮社文学賞(第3回)〔昭和31年〕「流れる」,日本芸術院賞(第13回)〔昭和31年〕「流れる」,女流文学賞(第12回)〔昭和48年〕「闘」
- 経歴
- 幸田露伴の二女。昭和3年清酒問屋に嫁いだが、13年離婚。娘を連れて生家に戻り、晩年の露伴の看護にあたる。22年露伴の病死に際して、雑誌「芸林閒歩」に「雑記」を発表、24年「父―その死」を刊行して、随筆家として注目される。一時絶筆を宣言、柳町の芸者置屋へ奉公したが、のち小説執筆に入り、31年「流れる」で新潮社文学賞と日本芸術院賞を受賞。ほかに「黒い裾」「闘」「おとうと」など。平安朝女流日記文学の伝統をひいた感覚的な文章に特色がある。没後、雑誌等に連載していた作品のうち、エッセイ「崩れ」「木」、長編小説「きもの」、短編小説集「台所のおと」、対談集「幸田文対話」などが単行本として出版された。「幸田文全集」(全7巻 中央公論社)がある。また50年には19年に落雷で焼失した奈良県斑鳩の法輪寺五重塔再建に尽力。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報