幸 祥光(読み)コウ ヨシミツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「幸 祥光」の解説

幸 祥光
コウ ヨシミツ


職業
能楽囃子方(幸流小鼓方)

専門
小鼓

肩書
幸流小鼓宗家(16代目) 重要無形文化財保持者(能囃子方・小鼓)〔昭和30年〕,日本芸術院会員〔昭和40年〕

本名
五郎

旧名・旧姓
神谷,三須

別名
前名=幸 五郎,幸 悟朗(コウ ゴロウ)

生年月日
明治25年 11月16日

出生地
東京市 下谷区(東京都 台東区)

経歴
少年時代、そのリズム感のすばらしさに、幸流小鼓の名人三須錦吾がもらいうけ、息子平司の養嗣子とした。養父と養祖父に師事。明治37年「田村」で初舞台。42年17歳で五流宗家の推挙で幸流(幸五郎次郎家)の芸事を継ぎ幸五郎となる。昭和5年幸家に入籍、幸悟朗と名乗る。22年祥光と改名。24年一調一管「獅子」を復曲上演。29年第1回能楽訪欧団に参加。この間、8年東京音楽学校教務嘱託、29年三役養成会教務主任を務めるなど、後進育成に尽力。また新作能「智恵子抄」の作曲もした。32年より日本能楽会会員。10代のころから天才の呼び声が高く、不世出の名人と呼ばれ、大鼓の川崎九淵との名コンビで明治から50年間にわたり能楽囃子方を支え、昭和30年最初の人間国宝に認定された。36年古稀祝の会に無謡一調「翁頭取」を自作発表。40年日本芸術院会員。著書に「小鼓とともに」「小鼓入門」がある。

所属団体
雅楽協会,東京囃子科協議会,日本能楽会

受賞
勲三等瑞宝章〔昭和41年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和52年〕 芸術祭賞〔昭和24年・38年〕,芸術祭賞優秀賞〔昭和44年〕

没年月日
昭和52年 4月6日 (1977年)

家族
養父=三須 平司(幸流小鼓方),長男=幸 正影(幸流小鼓17代目宗家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「幸 祥光」の解説

幸 祥光
コウ ヨシミツ

明治〜昭和期の能楽囃子方(幸流小鼓方) 幸流小鼓宗家(16代目)。



生年
明治25(1892)年11月16日

没年
昭和52(1977)年4月6日

出生地
東京

本名
幸 五郎

旧姓(旧名)
神谷,三須

別名
前名=幸 悟朗(コウ ゴロウ)

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和24年 38年〕,勲三等瑞宝章〔昭和41年〕,芸術祭優秀賞〔昭和44年〕

経歴
少年時代、そのリズム感のすばらしさに、幸流小鼓の名人、三須錦吾がもらいうけ、息子平司の養子とした。明治37年「田村」で初舞台。42年17歳で五流宗家の推挙で幸流(幸五郎次郎家)の芸事を継ぎ幸五郎となる。昭和5年幸家に入籍、幸悟朗と名乗る。22年祥光と改名。29年第1回渡欧能に参加。この間、8年東京音楽学校教務嘱託、29年三役養成会教務主任を務めるなど、後進育成に尽力。また新作能「智恵子抄」の作曲もした。32年より日本能楽会会員。10代のころから天才の呼び声が高く、不世出の名人と呼ばれ、大鼓の川崎九淵との名コンビで明治から50年間にわたり、能楽界を支え、昭和30年最初の人間国宝に認定された。40年芸術院会員。著書に「小鼓とともに」「小鼓入門」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「幸 祥光」の解説

幸 祥光 (こう よしみつ)

生年月日:1892年11月16日
明治時代-昭和時代の能楽囃子方(幸流小鼓方)。幸流小鼓宗家(16代目)
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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