広西チワン族自治区(読み)コウセイチワンゾクジチク(英語表記)Guǎng xī Zhuàng zú zì zhì qū

デジタル大辞泉 「広西チワン族自治区」の意味・読み・例文・類語

こうせいチワンぞく‐じちく〔クワウセイ‐ゾク‐〕【広西チワン族自治区】

広西

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改訂新版 世界大百科事典 「広西チワン族自治区」の意味・わかりやすい解説

広西チワン族自治区 (こうせいチワンぞくじちく)
Guǎng xī Zhuàng zú zì zhì qū

中国華南地区の省級の自治区。中国では広西壮族自治区と書く。1958年3月5日,従来の広西省の区域に成立した。東は広東省,北は湖南省,貴州省,西は雲南省,南西はベトナムに接し,南は南海のトンキン湾に臨む。略称は桂。面積23万6600km2,人口4386万(2000)。自治区政府の所在地は南寧市。1996年現在,18市(南寧,柳州,桂林,梧州,憑祥,合山,北海など),7地区,59県,12自治県から構成される。住民の民族構成は1995年では,人口4543万人のうち漢族は2803万人,少数民族ではチワン(壮)族が最も多く1535万5000人,次いでヤオ(瑶)族109万人,ミヤオ(苗)族,トン(侗)族と続き,他にコーラオ(仡佬)族,マオナン(毛難)族,回族,イ(彝)族,キン(京)族,スイ(水)族,ムーラオ(仫佬)族が居住している。

春秋戦国時代は百越の地であった。秦代に始皇帝が大軍を送って嶺南地方を征服して,桂林郡が置かれ,一部は象郡に属した。漢代は交州,荆州に属し,唐代初期は嶺南道に属したが,のち嶺南西道が置かれた。宋代には広南西路に,元代は湖広行中書省に属し,のち広西布政使司が置かれ,清代には広西省となった。唐代には屯田の制度が行われ多くの耕地が開かれ,鉱山開発も始まり,特に宋代には銅,鉛,水銀などの鉱山が各地に開かれた。明・清代には漢族の流入がますます増加したが,政府の改土帰流政策の強制はチワン・漢両族の対立を激化させた。清末以来外国の経済侵略もみられたが,革命運動も激化し,太平天国運動は広西の桂平県金田村から始まったのである。辛亥革命後は広西軍閥の支配下にあったが,1949年解放され,52年まず広西西部にチワン族の自治を尊重して桂西チワン族自治区が成立し,58年には広西省全区が自治区に再編成された。

珠江(西江)中流地域を占め,その北西部は雲貴高原南部に属し,それから東にかけて苗嶺が貴州・湖南両省との境界を走る。地勢は広東省よりも高く,大部分が丘陵・山地で,北西から南東に向かってしだいに低くなる。周囲が1000~1500m前後の山地にとり囲まれ〈広西盆地〉の称がある。西北部は雲貴高原の一部であるが,長期にわたる浸食で解析が著しく進んでいる。金鍾山,青竜山など1500m前後の山地があり,最高峰は秦王老山の2062mである。北部縁辺には九万大山,大苗山,大南山,天平山と古変成岩から成る山地が北西~南東方向あるいは北東~南西方向に走る。九万大山と大苗山一帯は自治区で最も重要な森林地帯である。1200~1500mの山地が多いが,大苗山は峻嶺で2000mを超える山峰がある。北東の辺境は南嶺山脈の一部にあたる越城嶺,都龐嶺,萌渚嶺,海洋山の〈三嶺一山〉が南西~北東の走向でほぼ平行に走り,1100~1500mの峰々が並んでいる。南東部には十万大山,雲開大山が横たわり,勾漏山脈と総称される。いずれも標高600~1000m程度である。中部には大瑶山,大明山など1000m前後の山地があり,これらの山地のあいだに多くの小盆地が散在する。南寧,玉林,柳州,石竜,桂平などの盆地がそれである。自治区には石灰岩が広く分布し,全省面積の約半分を占め,雨水の溶食作用によりカルスト地形がよく発達している。石林や鍾乳洞,地下伏流などが多く,特に桂江・漓江流域の景観は優美で,〈桂林の山水は天下に甲たり,陽朔の山水は桂林に甲たり〉と称される。

 自治区の水系は南方と北東の小部分を除くと,ほとんど珠江水系の流域に属する。珠江水系の本流である西江の上流の南盤江,北盤江は貴州省から自治区へ流入し,紅水河と呼ばれ,石竜で柳江を合わせ,以後黔江(けんこう)と呼ばれ,桂平で鬱江を合わせた後は潯江と呼ばれ,梧州で桂江が合流した後は西江と呼ばれる。これらの支流のうち最も長いのは鬱江だが,桂江はその上流で長江(揚子江)水系の湘江との間を霊渠と呼ばれる秦代に建設された運河で結ばれている。珠江水系以外の独立河川としては北海市付近で北部湾に流入する南流江がある。

 本区は北緯21°~26°の間にあり,北西では山地,高原が北からの寒風をさえぎるため,気候は温暖で,年平均気温は17~23℃の亜熱帯気候である。気温の地理的分布は北低南高,東低西高である。7月は25~29℃に達するが,1月は6~15℃と冬らしい冬はみられない。1月の平均気温は北部の桂林で8.0℃,南部の北海で14.4℃である。降水量は低緯度で海に近く季節風の影響も強く受けるので,各地とも1500mm前後ある。十万大山周辺では年間降水量が2000~2500mmに達し,中国の最多雨地区である。なかでも東興は1958年から72年の間の年平均降水量は3484mmに達した。降水の特徴は4~9月の雨季に集中することで,桂林では74%,南寧では79%がこの期間に得られる。

解放前,農業生産は〈一雨あれば冠水し,雨がなければすぐ干ばつ〉という状態であった。解放後数十万ヵ所で水利工事が行われ,動力排水灌漑設備を大量に設置して水害のない農地に変えた。また石灰岩が分布する地区では地下水を引いて灌漑に成功した。海岸沿いの堤防も各地で高さと幅を増やし,防潮能力が大幅にあがった。主要な農業地域は鬱江と西江中流一帯の地勢が低平な地域である。西江上流の丘陵,山地には棚田が多い。食糧作物の主たるものは水稲トウモロコシ,小麦,サツマイモである。水稲は南東部各県を主とし,トウモロコシは鬱江上流と紅水河流域で広く作られる。経済作物としてはサトウキビラッカセイ,ゴマ,ナタネ,チョマを主とする。サトウキビは鬱江流域を中心に,全省に広く栽培されている。油脂作物は中・南部に多く,チョマは東北部の平楽・陽朔一帯に多い。自治区内の東と南東には,さらにゴム,コーヒー,コショウ,コウスイガヤなど熱帯性工芸作物が栽培されている。本区では熱帯,亜熱帯の果物も数種産し,容県の砂地ザボン,玉林のリュウガン,霊山・陸川・桂平・蒼梧などのレイシは全国的に有名である。森林も繁茂し,多種類の用材を産出する。柳州の杉は最も著名である。八角,ウイキョウ,キリ油,茶油,ニッケイ油なども産し,内外に名が知られている。淡水漁業は潯江の稚魚が最も著名である。北部湾は有名な大漁場であり,魚類は数百種に達し,真珠,カキなどの水産養殖場がある。合浦県の沿海には〈南珠〉と呼ばれる〈珍珠の里〉がある。

 本区内の鉱産資源の埋蔵量は豊富で,マンガンは中国一の埋蔵量を誇っている。その分布は桂平,来賓などに多い。スズ,タングステン,鉛,亜鉛の埋蔵量も多く,スズは賀県を中心に東北部各県に広く分布し,生産は雲南に次ぐ。さらにリン鉱石,金,石炭,塩および広く産する石灰石などがある。解放前,工業の基盤が弱かったが,解放後工業の発展がめざましい。主要工業には鉄鋼,機械,電機,紡織,化学,製油,松脂,製糖などで,南寧,桂林,柳州,梧州が主要工業都市である。近年低賃金で豊富な労働力を求めて香港を中心に華人資本の投資が増加している。伝統工芸には玉林,桂林の織物,昭平の竹紙,賓陽の磁器が有名である。

鉄道は湘桂鉄道(衡陽~友誼関)が北東から南西に通じ,湖南省衡陽で京広鉄道(北京~広州)に連絡する。また黔桂鉄道が柳州で分岐して,貴陽に通じ川黔鉄道(重慶~貴陽)に連絡し,また黎塘で分岐する黎湛鉄道は広東省の湛江と茂名に通じる。省内の交通手段としては内陸河川の果たす役割が大きい。西江を幹線水路として,支流を含めた内陸水路網はほぼ自治区全域におよび,梧州がそののどもとをおさえている。小型汽船は減水時でも鬱江は南寧まで,柳江は柳州・融安まで,右江は百色と竜州まで,桂江は桂林まで達する。民船なら桂江から霊渠を経て湘江に下ることができる。自動車道路も南寧,桂林,柳州,玉林を中心に放射状にのびている。航空路は南寧と観光都市桂林を中心に全国各地を結んでいる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「広西チワン族自治区」の意味・わかりやすい解説

広西チワン族自治区
こうせいちわんぞくじちく

広西(チワン族自治区)

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