デジタル大辞泉
「康安」の意味・読み・例文・類語
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こう‐あん カウ‥【康安】
[1] 〘名〙 (形動) 平穏無事なこと。また、そのさま。
[2] 南北朝時代、北朝の後光厳天皇の代の年号。延文六年(
一三六一)三月二九日、
兵革、
疾疫等により
改元。南朝、
後村上天皇の代の
正平一六~一七年にあたる。将軍
足利義詮の時代。康安二年(
一三六二)九月二三日、
貞治(じょうじ)と改元。
出典は「唐紀」の「作
二治康凱安之舞
一」および「史記正義」の「天下衆事咸得
二康安
一、以致
二天下太平
一」。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
こうあん【康安】
日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1361年から1362年まで、後光厳(ごこうごん)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は延文(えんぶん)。次元号は貞治(じょうじ)。1361年(延文6)3月29日改元。疫病流行の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『史記正義(しきせいぎ)』を出典とする命名。康安年間の南朝方の天皇は後村上(ごむらかみ)天皇。南朝は「正平(しょうへい)」(1346~1369年)の元号を使用した。室町幕府の将軍は足利義詮(よしあきら)(2代)。同年間は南朝方の攻勢が続き、一方、東国では鎌倉公方周辺の軋轢が高まっていた。1361年(康安1/正平16)8月、南朝方の菊池武光(きくちたけみつ)が少弐頼国(しょうによりくに)ら北朝方の武将を破り、大宰府で懐良親王(かねながしんのう)(後醍醐(ごだいご)天皇の皇子)を迎えている。これにより、大宰府は南朝の拠点となった。10月には幕府執事(管領)の細川清氏(きようじ)が失脚して南朝に降伏、楠木正儀(くすのきまさのり)らと12月に京都へ侵攻し、一時占領する事態となった。また、関東では畠山(くにきよ)国清が鎌倉公方の足利基氏(もとうじ)と対立し、11月に伊豆国へ逃れている。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報