彦根市(読み)ヒコネシ

デジタル大辞泉 「彦根市」の意味・読み・例文・類語

ひこね‐し【彦根市】

彦根

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日本歴史地名大系 「彦根市」の解説

彦根市
ひこねし

面積:九八・一五平方キロ

湖東平野の北部に位置し、北は坂田郡米原町、東は犬上いぬかみ郡多賀町、南東は同郡甲良こうら町・豊郷とよさと町、愛知えち愛知川えちがわ町、南は神崎郡能登川のとがわ町、西は琵琶湖に面する。北東部の鈴鹿山脈に連なる霊仙りようぜん山地を除くとほぼ沖積平野で、せり川・犬上川・宇曾うそ川などが流れ、能登川町との境を愛知川が流れていずれも琵琶湖に流入。宇曾川左岸に古代には覇流へる岡とよばれた荒神こうじん(二六一・五メートル)がそびえ、北部の湖岸寄りに佐和さわ(二三二・五メートル)がある。佐和山の東には東方から霊仙山地が張出し、北には入江いりえ内湖、西には松原まつばら内湖がかつて広がっていた。したがって湖東平野を貫通する陸路は佐和山東麓に集中し、古代の東山道以来交通の要衝であった。現在もここを国道八号・名神高速道路・東海道新幹線・近江鉄道本線が走り、西麓をJR東海道本線が通る。市域はかつての四郡にまたがり、北東部は坂田郡、松原内湖から荒神山・宇曾川右岸までは犬上郡、宇曾川左岸は愛知郡、愛知川右岸は神崎郡に属した。市名の彦根は江戸時代の彦根城・彦根城下の呼称を継承するが、さらにさかのぼれば平安時代に観音験所として朝野の崇敬をうけた彦根山西ひこねやまにし(彦根寺)にいきつく。山名として生れた地名と思われるが、その由来はこの山に活津彦根命が鎮座していたことによるという。

〔原始・古代〕

現在確認されている最古の遺跡は、縄文時代後期にはじまる福満ふくみつ遺跡と松原内湖遺跡である。福満遺跡からは後期および晩期の土器が多量に出土し、柱穴群が検出された。松原内湖遺跡でも後期・晩期の土器が出土し、そのほか琴の祖形と考えられる篦状木製品や赤漆塗竪櫛が発見され注目された。このほか縄文時代晩期の遺跡として品井戸しないど遺跡や南川瀬南みなみかわせみなみ遺跡などがある。このように縄文時代の遺跡はおもに内湖沿岸や犬上川の後背湿地に立地する。弥生時代になると、前期の遺物が出土した妙楽寺みようらくじ遺跡、中期の馬場ばば遺跡などがある。また中期の遺跡にはそのほか肥田西ひだにし遺跡・南川瀬南遺跡・妙楽寺遺跡などがある。後期になると遺跡数は増え、稲部いなべ遺跡・福満遺跡・品井戸遺跡などがあり、全体の傾向としては沖積地の微高地上に集落が集中的に形成される。

古墳時代の集落は弥生時代の集落と同様の立地をなし、遺跡もほとんど弥生時代のものと複合している。住居跡を確認したおもな遺跡としてはたけはな廃寺遺跡・横地よこち遺跡・福満遺跡・堀南ほりみなみ遺跡などがある。後期群集墳は荒神山とその周辺に集中しており、荒神山には二五基以上の古墳からなる荒神山古墳群があり、東山ひがしやま正法寺しようぼうじなどでも数基が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「彦根市」の意味・わかりやすい解説

彦根〔市〕
ひこね

滋賀県,琵琶湖中東岸にある市。 1937年彦根町と松原,青波,北青柳,福満,千本の5村が合体し,市制。 42~68年にかけて8町村を編入。市域は湖岸の沖積地と霊仙山に続く山地から成る。中心市街地の彦根は,江戸時代井伊氏 35万石の城下町として発展。現在も城下町の景観を残す。明治以降は湖東地方の行政,商業,文教の中心地で,紡績,バルブコックの工業が興った。第2次世界大戦後,新たに電機,ゴムの大工場が進出。伝統工業に仏壇,籐製品の製造がある。農村部では米作が主。彦根城一帯は特別史跡で,国宝の天守閣多聞櫓が残る。また,『彦根屏風』は初期風俗画中の傑作として知られる。市域には石田三成の佐和山城跡もあり旧跡,古社寺が多い。中山道沿いには旧宿場町の鳥居本高宮がある。 JR東海道本線,近江鉄道本線が通り,名神高速道路のインターチェンジがある。湖岸はマツ並木のある景勝地で水泳場になっており,付近一帯は琵琶湖国定公園に属する。面積 196.87km2。人口 11万3647(2020)。

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