後二条師通記(読み)ごにじょうもろみちき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「後二条師通記」の意味・わかりやすい解説

後二条師通記
ごにじょうもろみちき

関白内大臣藤原師通日記。『後二条関白記』『後二条殿記』『師通公記』とも称する。1083年(永保3)任内大臣の22歳より、1099年(康和1)関白当職38歳にて薨(こう)ずるまでの17年にわたる。このうち「寛治(かんじ)七年(1093)二月篤子内親王立后記」1巻が自筆本、寛治元年(1087)、嘉保(かほう)2年(1095)、承徳(じょうとく)元、2年(1097、98)4か年分を除く29巻(ただし、嘉保元年分は摂関大臣補任(ぶにん)先例のみで日記記述はなく、また四季不完の年のある反面年季が重複する巻もある)が古写本近衛(このえ)家に伝わり、現在陽明文庫所蔵。この古写本はその奥書などによると、1151年(仁平1)記主の孫頼長(よりなが)のもとにてその家司(けいし)らにより書写校合されたものと考えられる。

 ほかに、この古写本に含まれない応徳(おうとく)3年(1086)秋冬、寛治2年(1088)秋冬、同5年春、同6年春、同7年春、夏の6巻に該当する新写本が宮内庁書陵部その他に蔵せられる。平安末期の院政初期における朝野情勢を知る貴重史料。『大日本古記録』に所収

名和 修]

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改訂新版 世界大百科事典 「後二条師通記」の意味・わかりやすい解説

後二条師通記 (ごにじょうもろみちき)

藤原師通の日記。《後二条殿記》《後二条関白記》《師通公記》などとも称され,内大臣に任じられた1083年(永保3)より,没した99年(康和1)に及ぶ(うち5年分欠)。記事の内容は公私にわたるが,とりわけ朝廷政務儀式に関する記述は精細で,《中右記》とともに当代の公家社会の姿を知る基本史料。陽明文庫に自筆本1巻,平安時代末期の古写本29巻を存する。《大日本古記録》所収。
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百科事典マイペディア 「後二条師通記」の意味・わかりやすい解説

後二条師通記【ごにじょうもろみちき】

関白となった藤原師通の日記。《後二条殿記(どのき)》《後二条関白記》《師通公記》ともいう。記述は内大臣に任じられた1083年から,関白に任じられた1094年を経て,死去した1099年に及ぶが,一部が欠落している。朝廷の政務・儀式などについての記述は詳細で,《中右記(ちゅうゆうき)》とともに院政初期の政治・社会の動きを知ることのできる好史料。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後二条師通記」の意味・わかりやすい解説

後二条師通記
ごにじょうもろみちき

藤原師通 (通称後二条関白) の日記。『後二条関白記』『師通公記』『後二条殿記』などとも呼ばれる。師通が内大臣に任じられた永保3 (1083) 年から康和1 (99) 年関白在任中に没するまでに及んでいるため,当時の政治史絶好の史料。原本1巻と古写本 29巻が京都の陽明文庫に収められている。『大日本古記録』所収。

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世界大百科事典(旧版)内の後二条師通記の言及

【砂糖】より

…そして787年(延暦6)6月,宝物の曝涼(ばくりよう)が行われたとき,どういうわけか,その〈蔗糖〉の量が増えていたという記録がある。《後二条師通記》寛治5年(1091)10月25日条を見ると,藤原師通はその日橘俊綱から砂糖を贈られ,それを持参した使者が〈これは唐菓物(からくだもの)だということです〉といったことを記している。平安後期,砂糖は宋との私貿易によってわずかながら舶載されており,薬品ではなく菓子として認識されるようになりつつあったことがうかがわれる。…

【藤原師通】より

…4年後父に先立って没したが,山王のたたりといわれた。学芸に優れ,日記《後二条師通記》は貴重な史料。【黒板 伸夫】。…

※「後二条師通記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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