徐光啓(読み)じょこうけい

精選版 日本国語大辞典 「徐光啓」の意味・読み・例文・類語

じょ‐こうけい ‥クヮウケイ【徐光啓】

中国、明末の政治家、学者。字(あざな)は子先、号は玄扈(げんこ)、諡(おくりな)は文定。上海の人。近代科学を初めて中国に紹介したイタリア人宣教師マテオ=リッチの影響を受けキリスト教に入信。リッチとの共訳「測量法義」「句股義」などがある。(一五六二‐一六三三

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デジタル大辞泉 「徐光啓」の意味・読み・例文・類語

じょ‐こうけい〔‐クワウケイ〕【徐光啓】

[1562~1633]中国明の科学者。上海の人。あざなは子先。洗礼名パウロマテオ=リッチから西洋の科学技術を学び、中国に紹介。編著に「農政全書」、編訳に「崇禎すうてい暦書」、訳に「幾何学原本」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徐光啓」の意味・わかりやすい解説

徐光啓
じょこうけい
(1562―1633)

中国、明(みん)朝末の学者、政治家。キリスト教および西洋科学技術の普及に貢献した。上海(シャンハイ)の人で、字(あざな)は子先、号は玄扈(げんこ)、諡(おくりな)は文定、キリスト教名は保禄(パウロ)。1596年広東(カントン)省韶州(しょうしゅう)でイエズス会士カッタネオLazarus Cattaneo(1560―1640。中国名は郭居静(かくきょせい))からキリスト教の手ほどきを受け、1597年北京(ペキン)で郷試に首席で合格したが、翌1598年の会試に失敗、帰郷した。そこでマテオ・リッチの著した世界地図を見て感服、1599年南京(ナンキン)で面会した。1601年の北京での会試にも失敗し、南京を訪れたが、リッチは北京に去っており、かわりにダ・ローチャJoão da Rocha(1566―1623。中国名は羅如望)からキリスト教の洗礼を受けた(1603)。1604年会試に合格し翰林院(かんりんいん)庶吉士(しょきつし)(翰林院は天子の詔勅をつかさどる役所。庶吉士は官吏登用試験に優秀な成績で合格した者がなる翰林院の官名)に任ぜられた。1607年に喪に服して帰郷するまで、リッチの居宅近くに住んでその講義を筆受するとともに、『測量法義』『句股義(こうこぎ)』、ユークリッドの『幾何学原本』の前半その他、幾何学・測量学関係書をリッチらと共訳した。1608年カッタネオを上海に迎えて、のちの徐家匯(じょかわい)天主堂の基をつくり、1616年に沈漼(しんさい)が起こした教難では護教に成功しなかったが、1619年、明軍が満州軍に敗れると、練兵の必要を上申して少詹事(しょうせんじ)(太子官の庶務担当の次官)兼河南道御史(かなんどうぎょし)(御史は監督官)となり、西洋大礮(たいほう)(砲)鋳造のために、マカオに追放中の宣教師たちを召還させることに成功した。1623年礼部右侍郎(礼部は礼儀・祭祀(さいし)・官吏の試験などをつかさどる役所。侍郎は次官)となり、魏忠賢(ぎちゅうけん)らの弾劾で失職後、礼部左侍郎に復して農業の振興に努め、『農政全書』を撰(せん)した(1639年刊)。1630年礼部尚書(長官)に上り、1632年には内閣の一員たる東閣大学士を兼任、翌1633年太子大保(教育係)・文淵閣(ぶんえんかく)大学士などの職を加えられたが、その年に病没、1641年徐家匯に葬られた。現在、墓の一帯は徐光啓記念公園となっている。それより先、1629年よりアダム・シャールや李之藻(りしそう)らと西洋天文学による改暦に携わり、死後、『崇禎暦書(すうていれきしょ)』として完成、李天経(りてんけい)(1579―1659)により奏進された。この暦による改暦は明代には実現せず、清(しん)朝に至って『時憲暦(じけんれき)』(『西洋新法暦書』)として再編・施行された。

[宮島一彦 2017年11月17日]

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改訂新版 世界大百科事典 「徐光啓」の意味・わかりやすい解説

徐光啓 (じょこうけい)
Xú Guāng qǐ
生没年:1562-1633

中国,明末の政治家,科学者。上海徐家匯(じよかわい)の人。字は子先,号は玄扈,諡(おくりな)は文定。万暦32年(1604)の進士。1588年(万暦16)広東へ行き,韶州でイエズス会士カッタネオ(郭居静)に,また1600年南京でリッチ(利瑪竇)に会い,03年ロカ(羅如望)から洗礼を受け(洗礼名パウロ),西洋の天文学,地理学,数学,水利学,火器などについて学んだ。リッチが口授し彼が筆受して07年にユークリッドの《幾何学原本》の前半6巻を出版した。同様にしてウルシス(熊三抜)と訳出したものに《泰西水法》(1612)があり,この水利書は死後に出版された《農政全書》60巻(1639)にも収録された。29年日食予報が適中しなかったことから改暦の命が下り,彼は暦局を組織し,李之藻や宣教師のテレンツ(鄧玉函)やシャール(湯若望)らの協力のもとにチコ・ブラーエの天文学に基づく《崇禎暦書》の編訳事業を開始した。32年東閣大学士,翌年に最高位の官の文淵閣大学士となったが病死した。東北に興起した満州族の圧迫が日ましに強まった明末に生きた徐光啓は,軍事技術についても一見識をもち,軍事訓練の必要性と銃火器の製造にも力を尽くし,ヨーロッパの大砲の導入を建言し,ヌルハチの北京進攻をくいとめた。彼が葬られた徐家匯は,19世紀,フランスのイエズス会の中国布教センターとして有名である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徐光啓」の意味・わかりやすい解説

徐光啓
じょこうけい
Xu Guang-qi; Hsü Kuang-ch`i

[生]嘉靖41(1562).3.20. 上海
[没]崇禎6(1633).10.7.
中国,明末の政治家,学者で天主教 (キリスト教) 徒。上海の人。字は子先。号は玄扈。万暦 32 (1604) 年の進士。翰林院庶吉士に任じられたが,この頃マテオ・リッチから天主教の教えを受け,また暦学,数学,水利,兵器など西洋の実用科学を学び,同 35年にはリッチと共訳したユークリッド幾何学を『幾何原本』 (6巻) と題して発刊した。またこの頃ラザレ・カッターネオを上海に招いて布教に従事させ,徐家匯 (わい) に天主堂を建てた。崇禎1 (28) 年には礼部左侍郎,次いで尚書に進み,この間王朝末期の政治的混乱を正し,民政の改善に努力した。また満州族の侵略にそなえるため,宣教師たちから洋式の火器製造技術を導入する道を開いた。シャル・フォン・ベルらとともに中国暦の改修に従事し,『崇禎暦書』の編纂に努めたのもこの頃のことである。同5年には東閣大学士,次いで文淵閣大学士となり,国政に直接参与するにいたったが,まもなく病没した。熱心な天主教徒で宣教師の布教を助け,西洋の学術を中国の学問に取入れることに尽力した。その編著『農政全書』 (60巻) は有名である。

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百科事典マイペディア 「徐光啓」の意味・わかりやすい解説

徐光啓【じょこうけい】

中国,明末の学者,政治家。上海の人。1604年の進士で,東閣大学士となった。若くしてイエズス会士と親交をもったため,キリスト教を信奉した。マテオ・リッチとの共訳でユークリッドの《幾何学原本》,アダム・シャールと共同で中国暦を改修してその成果を記した《崇禎(すうてい)暦書》は有名である。他に《農政全書》など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「徐光啓」の解説

徐光啓(じょこうけい)
Xu Guangqi

1562~1633

明末の政治家で学者。上海の人。1604年の進士で,礼部尚書,内閣大学士となった。早くよりイエズス会宣教師と接触し,キリスト教を信奉。マテオ・リッチとの共訳『幾何原本』をはじめ,『崇禎(すうてい)暦書』『農政全書』の編著で名高い。

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世界大百科事典(旧版)内の徐光啓の言及

【幾何原本】より

…〈幾何〉とは中国語で量的な問いを意味する疑問詞である。明末にイエズス会士マテオ・リッチ(漢名,利瑪竇)が来朝し,その指導により徐光啓が1606年(万暦34)にその前半6巻を漢訳した。後半の9巻は,清末の1856年(咸豊6)にイギリス人宣教師ワイリーAlexander Wylie(漢名,偉烈亜力)が李善蘭の協力を得て訳出した。…

【徐家匯】より

…上海の都市化が進む前は県城の南西近郊の農村地帯で,租界の拡張とともにフランス租界の南西端にくみいれられた。明の高級官僚であり,キリスト教徒の科学者でもあった徐光啓の生家があったところで,その墓もある。1847年(道光27)清朝のキリスト教解禁をうけて,フランスのイエズス会士が教会を建設したが,原地民の反対運動も激しく,徐家匯教案(仇教運動)として知られる。…

【中国数学】より

…唐代のインド数学,元代のイスラム数学の場合とちがって,ヨーロッパ数学はかなり根を下ろしたが,アラビア数字はもちろん,数式などもヨーロッパ風のものは採用されずに終わった。1582年(万暦10)に来たマテオ・リッチ(漢名,利瑪竇)は開明的な高官徐光啓の助力を得て,ユークリッド幾何学書《ストイケイア》の前半の6巻を《幾何原本》として漢訳し,論証的幾何学を中国に紹介した。なお後半の9巻は清末に漢訳された。…

【農政全書】より

…中国,明末の農書。政治家であり科学者でもあった徐光啓の主著の一つ。60巻。…

※「徐光啓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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