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徳川 夢声 トクガワ ムセイ

20世紀日本人名事典の解説

徳川 夢声
トクガワ ムセイ

大正・昭和期の放送芸能家,随筆家,俳優



生年
明治27(1894)年4月13日

没年
昭和46(1971)年8月1日

出生地
島根県益田市

出身地
東京・赤坂

本名
福原 駿雄(フクハラ トシオ)

別名
別号=夢諦軒

学歴〔年〕
東京府立一中〔明治45年〕卒

主な受賞名〔年〕
NHK放送文化賞〔昭和25年〕,菊池寛賞〔昭和30年〕,紫綬褒章〔昭和32年〕,東京都名誉都民〔昭和40年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和42年〕

経歴
明治30年上京。大正2年清水霊山に入門して無声映画の弁士となる。昭和8年古川緑波山野一郎らと“笑の王国”を結成。12年文学座の結成に参加。話劇俳優として卓抜な演技をみせ、映画にも多く出演。14年のNHKラジオの物語朗読「宮本武蔵」などで、新しい話芸のスタイルを完成させ、全国的な人気も得る。戦後は軽い風俗評論、随筆、俳句などにも才能を発揮、特に「週刊朝日」に連載した対談「問答有用」で新形式の読み物を生み出した。また21年から39年までNHK「話の泉」のレギュラーをつとめるなど幅広く活躍した。一方、8年頃から俳句に親しみ始め、いとう句会を中心に句作を続けた。「句日記」「雑記・雑俳25年」の句集がある。著書に「夢声戦争日記」「夢声自伝」「明治は遠くなりにけり」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

徳川 夢声
トクガワ ムセイ


職業
放送芸能家 随筆家 俳優

本名
福原 駿雄(フクハラ トシオ)

別名
別号=夢諦軒

生年月日
明治27年 4月13日

出生地
島根県 益田市

出身地
東京市 赤坂区(東京都 港区)

学歴
東京府立一中〔明治45年〕卒

経歴
明治30年上京。小学校時代から落語や芝居に熱中し、当時から話術は非常に達者であったという。40年名門・府立一中に入学し、父が帝国党に関与した関係もあって政治家を目指すが、寄席通いが高じて学業はあまり振るわなかった。同校卒業後、旧制一高を2度受験するも失敗。そこで働きながら勉強をするため、仕事が夜だけの噺家になろうと初代三遊亭円歌に弟子入りを頼むが、政党の役員になっていた父の反対に遭い、代わりに活動写真の弁士なら暗がりで語るため顔がわからなくてよいと勧められ、大正2年弁士・清水霊山に入門、福原霊川の名で見習い弁士となった。入門3日目ではじめて活動写真の説明に立ったのを皮切りに、神田の万世館、浅草のキリン館、銀座の金春館、秋田市の凱旋座などを経て、4年東京・赤坂溜池の葵館に所属し、館名にちなみ徳川夢声に改名。5年頃から短編喜劇を集めたニコニコ大会の説明を行って徐々に人気を集め、6年には藤浪無鳴とともに帝劇で行ったトマス・H.インスの「シヴィリゼーション」の説明が好評を博した。このとき、前半を担当した藤浪が当時の弁士において重要なスタイルとなっていた前説を省いての説明を行ったのを見て、葵館に戻って前説なしの映画解説を行ったところ絶賛され、これが認められて同館の主任弁士に昇格。以来、知的で巧緻な話術により山の手のインテリ層のファンから強い支持を受け、8年の弁士番付では美文調で下町派の代表格となっていた生駒雷遊とならび、横綱に挙げられるまでに至った。10年松竹の直営館第1号である金春館の主任弁士に引き抜かれ、同年小山内薫所長の松竹キネマ研究所製作第一作「路上の霊魂」でも説明を担当。関東大震災後は一時東洋キネマの経営に当たるが赤字続きのため人手に売り渡し、14年からは新宿の武蔵野館に属した。傍ら同年の東京放送局開局当時からラジオにも出演し、物語を朗読。昭和2年大辻司郎、山野一郎、松井翠声、古川ロッパらとナヤマシ会を組織し、漫談や寸劇などにも乗り出した。やがて映画もトーキーの時代になると弁士不要の時代の到来を予見し、8年武蔵野館退職を期に俳優に転向。同年緑波、山野らと笑の王国を結成し、浅草・常盤座で旗揚げ。これには小杉勇や島耕二、演出部員として田坂具隆らも参加し、田坂作の「昭和新撰組」や緑波作の「凸凹放送局」がヒットした。また同年P.C.L.(写真化学研究所 東宝)の木村荘十二演出の「ほろよい人生」以来、銀幕にもたびたび登場し、木村監督の「彦六大いに笑ふ」、山本嘉次郎監督「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「綴方教室」、斉藤寅次郎監督「水戸黄門漫遊記」、千葉泰樹監督「彦六なぐらる」、成瀬巳喜男監督「はたらく一家」などに出演した。12年には久保田万太郎、岸田国士、岩田豊雄(獅子文六)らと文学座の結成に加わり、その第1回公演では杉村春子と二人きりでクルトリーヌ作の「我家の平和」を演じ、高い評価を受けた。14年NHKラジオで吉川英治の「宮本武蔵」を朗読し、絶妙な間のとり方で“間を以て生命とする”という余人の追求を許さぬ新しい話芸のスタイルを確立。戦後も引き続いて俳優、朗読家、漫談家、タレント、司会者として活躍、ラジオでは21年から39年までNHKで放送された長寿番組「話の泉」、テレビでは29年の「こんにゃく問答」、30年の「雨・風・曇」、32年の「私だけが知っている」などにレギュラー出演してお茶の間に親しまれた。映画は阿部豊監督「僕の父さん」、小石栄一監督「踊子物語」、清水宏監督「母情」、吉村公三郎監督「自由学校」、福田晴一監督「伴淳・アチャコ・夢声の活弁物語」などに出演、最後の仕事は44年の「臍殿下」における声の出演であった。また“雑学の大家”と言われたほどの該博な知識と、独特のユーモアの持ち主で、風俗評論や随筆、俳句などでも手腕を発揮し、24年には直木賞候補にも挙げられた。対談・座談の名手としても名高く、24年「文芸春秋」に掲載されたサトウハチロー・辰野隆との天皇会見録「座談会 天皇陛下大いに笑ふ」は大きな評判を呼んで第1回文芸春秋読者賞を獲得、26年より「週刊朝日」でスタートした連載対談「問答有用」は8年400回に及ぶロングランとなった。その他、日本放送芸能家協会理事長、ゆうもあくらぶ会長、明治村村長などを歴任。「夢声漫談」「夢声戦争日記」「あかるみ十五年」「くらがり二十年」「いろは交友録」「話術」など著書も数多い。

受賞
紫綬褒章〔昭和32年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和42年〕 NHK放送文化賞〔昭和25年〕,菊池寛賞〔昭和30年〕,東京都名誉都民〔昭和40年〕

没年月日
昭和46年 8月1日 (1971年)

伝記
昭和―僕の芸能私史徳川夢声と出会ったラジオドラマの黄金時代あの人この人―昭和人物誌なんだか・おかしな・人たちなつかしい芸人たち徳川夢声とその時代 永 六輔 著濱田 研吾 著西沢 実 著戸板 康二 著文芸春秋 編色川 武大 著三国 一朗 著(発行元 光文社晶文社河出書房新社文芸春秋文芸春秋新潮社講談社 ’04’03’02’96’89’89’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典の解説

徳川 夢声 (とくがわ むせい)

生年月日:1894年4月13日
大正時代;昭和時代の放送芸能家;随筆家
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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