心臓移植

内科学 第10版 「心臓移植」の解説

心臓移植(人工臓器・補助循環・臓器移植)

(1)心臓移植の歴史
 ヒトにおける心臓移植の第一例目は1967年南アフリカのBarnardらによるとされる(Barnard,1967).そのレシピエントは18日間の術後生存であったが,1968年には世界中に心臓移植手術が広まることとなった.わが国においても同年札幌医科大学においていわゆる「和田移植」が行われ,83日間生存したものの,医学的適応や脳死判定の不備などから世論の激しい非難を浴びる結末となった.また一部の施設以外では成績が思ったほど向上しなかったこともあり,1970年代には多くの施設が心臓移植から撤退した.1981年にシクロスポリンが免疫抑制薬として使用可能となったことは心臓移植再開の火付け役となった.同年,国際心臓移植学会が設立され,それは現在国際心肺移植学会(International Society of Heart and Lung Transplantation:ISHLT)に受け継がれ,世界中の心臓移植のデータベース管理を行っている.
(2)日本における臓器移植法とその改正
 わが国において脳死は現在でも原則として人の死ではない.脳死に対してさまざまな見解があるなかで旧臓器移植法が1997年に制定施行された.この法律は脳死判定に際してドナーとなり得る人本人の意思表示カードによる生前の提供意思表明を必要としたもので,ある意味ドナー候補を限定する内容となっていた.このため,年間心臓移植数は最大11例にとどまっていた.また旧法では15歳未満の臓器提供は禁止されており,小児の心臓移植は事実上日本では行えないシステムであったため,渡航移植が頻繁に行われていた.2008年国際移植学会による移植ツーリズム自粛を含んだイスタンブール宣言が発表され,2010年WHO(世界保健機関)もこれを批准し,ヨーロッパを中心に渡航移植受け入れが激減した.このこともあり,2009年7月に臓器移植法が改正され,翌2010年7月施行された.改正新法は臓器提供への生前の拒否の意思が明らかでない場合は家族の同意で脳死判定から臓器提供可能となる道が開かれ,年間の心臓移植数が40症例前後と急増した.また脳死判定可能な年齢も制限が撤廃され,小児移植の可能性が出てきたものの,現時点ではきわめて少数例にとどまっている.なお,心臓移植に限り18歳未満のドナーは登録時18歳未満で待機中のレシピエントに優先的にマッチングするシステムも始まった.新法では親族優先提供という事項もあるが,心臓移植についてはよほどの偶然がないかぎり適用されるものではないであろう.心臓移植実施認定施設は2011年12月現在,9施設である(北海道大学,東北大学,東京大学,埼玉医科大学,東京女子医科大学,大阪大学,国立循環器病研究センター,岡山大学,九州大学).
(3)心臓移植の適応(表5-16-1)(絹川,2011)
a.心臓移植の適応となる疾患
 心臓移植の適応となる疾患は従来の治療法では,救命ないし延命の期待がもてない以下の重症心疾患とする.
 拡張型心筋症・拡張相の肥大型心筋症・拘束型心筋症・虚血性心筋疾患・先天性心疾患・その他日本循環器学会および日本小児循環器学会の心臓移植適応検討会で承認する心臓疾患(心サルコイドーシス,弁膜症などを含む)
b.適応の医学的要件
 不治の末期的状態にあり,長期間または繰り返し入院治療を必要とする心不全,β遮断薬およびACE阻害薬を含む従来の治療法ではNYHAⅢ度ないしⅣ度から改善しない心不全,または現存するいかなる治療法でも無効な致死的重症不整脈を有する症例を対象とする.なお,当座のわが国の移植事情をふまえて年齢は60歳未満が望ましいとされてきたが,今後65歳程度をめどに延長される可能性がある.また,社会的適応の観点から服薬や生活の自己管理能力,精神的安定度,家族構成なども十分検討すべきである.
c.心臓移植の絶対的除外条件
 下記の条件を合併する場合は心臓移植の適応とならない.
肝臓,腎臓の不可逆的機能障害活動性感染症(サイトメガロウイルス感染症を含む)
肺高血圧症(肺血管抵抗が血管拡張薬または補助人工心臓を使用しても6 Wood 単位以上)
薬物依存症(アルコール性心筋疾患を含む)
悪性腫瘍
HIV(human immunodeficiency virus)抗体陽性
(4)日本臓器移植ネットワーク(Japan Organ Transplant Network:JOT)への登録
 日本循環器学会心臓移植適応小委員会の審査承認を経た後,JOTへ登録申請を行い,移植待機患者として正式に登録される.登録されたレシピエントはその状態により下記の3つのステータスに分類される.
 ステータス 1:
① 補助人工心臓を必要とする状態
② 大動脈内バルーンポンプを必要とする状態
③ 人工呼吸を必要とする状態
④ 集中治療室などの重症室に収容されていて,かつカテコールアミンなどの強心薬の持続点滴投与が必要な状態
 ステータス 2:待機中の患者で,上記の状態1に該当しないもの
 ステータス 3:ステータス 1またはステータス2で待機中に,除外条件(感染症・脳梗塞など)を有する状態ステータス 2については幅が広いが,おおむね心肺機能検査で最大酸素摂取量が14 mL/kg/分以下であることを基準としている.
 2011年11月末現在登録患者総数198名,うち男性140名,ステータス 1が124名,となっている.60歳未満という制限を反映して図5-16-1に示すように拡張型心筋症が圧倒的に多い.わが国において心臓移植を受けたレシピエントはすべてステータス 1であり,心臓移植までの平均待機日数は873日(2009年12月末)であった.
(5)心臓移植手術
 心臓移植の術式は大きく分けて2種類である.レシピエントの両心房を一部残して吻合するLower-Shumway法が当初開発された.この方式は手術時間が比較的短くできること,先天性心疾患患者のような解剖学的異常のあるレシピエントでも対応しやすいこと,小児例など大静脈径のミスマッチが大きくても可能なこと,再手術例など右心房の癒着があっても可能なこと,などの利点があるが,一方右心房の拡張やねじれを生じて洞不全症候群や三尖弁閉鎖不全を合併する率が高く,心房収縮が一様でないため心拍出量も低めであるとされている.この点を解消するため最近では上下大静脈レベルで吻合するbicaval法が採用されることが多くなってきている.
(6)心臓移植後の免疫抑制療法と拒絶反応
a.心臓移植後の免疫抑制療法
 ステロイド,カルシニューリン阻害薬(calcineurin inhibitor),核酸合成阻害薬の3剤併用が一般的である.カルシニューリン阻害薬はシクロスポリンまたはタクロリムス,核酸合成阻害薬はミコフェノール酸モフェティル(MMF)を使用する.カルシニューリン阻害薬はトラフ値を測定しながら移植後の経過に応じて用量を調節する.最近,mammalian target of rapamycin(mTOR)阻害薬であるエベロリムスが使用可能となり,今後のエビデンスの集積が待たれる.
b.拒絶反応
 ドナーの心臓が非自己と認識され,レシピエントのリンパ球や抗体などの作用によって移植された臓器を破壊しようとする拒絶反応には,リンパ球性(細胞性)拒絶として移植後早期に起こり心筋に傷害を起こす急性拒絶反応と,抗体関連性拒絶として急激な血行動態の悪化をもたらす液性拒絶反応と,数カ月以降に冠動脈病変として現れる慢性拒絶反応がある.急性拒絶反応の確定診断は心筋生検が最も信頼度が高く,拒絶反応が疑われた場合には心筋生検は必須の検査である.通常右室中隔から心筋を採取し,生検組織の所見により拒絶のグレードを下記のように判定する.
 グレード0:拒絶の所見なし,グレード1R:1部位までの間質または血管周囲へのリンパ球の浸潤と心筋傷害,グレード2R:2カ所以上のリンパ球浸潤と心筋傷害(図5-16-2A),グレード3R:びまん性のリンパ球浸潤と心筋傷害,ときに浮腫,出血,血管炎を伴う.グレード0〜1では,カルシニューリン阻害薬の増量などで対処する.グレード2〜3の場合,ステロイドパルス療法が施行される.
 液性拒絶の組織診断として補体の1つであるC4dが染まることが多いとされている.治療は血漿交換を主体とした集学的治療を行う.
 心移植後冠動脈病変(cardiac allograft vasculopathy :CAV)は多くの場合粥状硬化と異なり,びまん性に同心円状に内膜肥厚をきたすことが多い.ISHLTのデータでは毎年7%ずつ発生しているとされる.そのため,通常の冠動脈造影では狭窄が発見できないことも多く,これが移植後のフォローアップに血管内超音波が欠かせない理由である(図5-16-2B).エベロリムスがCAVの進行を抑制する可能性はあるが,確立された治療法はない.
(7)心臓移植の遠隔成績(Hertzら,2011)
 ISHLTのレジストリーによれば,世界中でおよそ3500件程度の心臓移植が行われている.そのうち北米が2000件以上を占め,ついでヨーロッパが1000件弱であり,その他の地域はまだ少ないことがわかる.心臓移植後の予後曲線を図5-16-3に示す.シクロスポリンが使用可能となった1980年代以降約30年経過し,10年ごとの予後曲線は少しずつ上方に推移しているが,これはよくみれば術後管理の向上による部分がほとんどで,長期的な移植後管理に関する部分は大きな変化がないともいえる.死因の代表的なものは術後5〜10年をとると1位が悪性腫瘍,2位がグラフト不全,3位がCAV,4位が感染症となっており,既存の免疫抑制薬では解決できないまたは免疫抑制薬の副作用と考えられるものが多くあがっている.悪性腫瘍は皮膚癌が多い.しかし,移植対象者はこれまで圧倒的に白色人種が多く,日本人においても同様であるかどうかは不明である.移植後に特徴的な悪性腫瘍に移植後リンパ増殖性疾患(posttransplant lymphoproliferative disorder:PTLD)がある.これはEBウイルス関連疾患とも考えられるもので,消化管での発生が多い.PTLDに対してエベロリムスが有効との報告がある.
 一方,日本において2011年12月現在心臓移植数は累計で120例,うち51例が2010年7月の改正法施行後以降に行われている.わが国における心臓移植の長期予後はデータ数としてきわめて少ないながら,非常に良好である.1年生存率98.6%,5年生存率95.6%というのが2010年7月時点での予後である.2011年12月現在,120名の移植レシピエントのうち死亡は4名のみである.[絹川弘一郎]
■文献
Barnard CN: The operation. A human cardiac transplant: an interim report of a successful operation performed at Groote Schuur Hospital, Cape Town. S Afr Med J, 41:1271-1274, 1967.
Hertz MI, Aurora P, et al: Scientific Registry of the International Society for Heart and Lung Transplantation. J Heart Lung Transplant. 30:1071-1132, 2011.
絹川弘一郎:心臓移植の適応疾患と適応基準,除外基準・禁忌.心臓移植(松田 暉監修,布田伸一・福嶌教偉編),pp111-114,シュプリンガー・ジャパン,東京,2011.

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「心臓移植」の意味・わかりやすい解説

心臓移植
しんぞういしょく
heart transplantation

従来の治療法では救命ないし延命の期待がもてない重症心疾患患者に対する治療法として、臓器提供者(脳死ドナー)の心臓を植え込む臓器移植術の一つである。心移植ともいう。心臓移植が必要とされる疾患は心筋の収縮力が高度に障害される拡張型心筋症や、冠状動脈病変で心筋が壊死(えし)に陥って心不全となった虚血性心筋症などである。

[福嶌教偉 2023年1月19日]

心臓移植の歴史

心臓移植の歴史は古く、1905年にはすでにカレルAlexis Carrel(1873―1944)らによって動物実験の報告がされている。1960年にアメリカのスタンフォード大学のシャムウェイNorman Shumway(1923―2006)らが同所性心移植の手術手技とその動物実験の成功(最長21日)を報告した。1964年にアメリカのミシシッピー大学のハーディJames Hardy(1918―2003)によってチンパンジーの心臓がヒトに移植されたのが、ヒトにおける最初の心臓移植であるが、不成功に終わった。1967年南アフリカのバーナードChristiaan Barnard(1922―2001)によって心停止後の心臓を人工心肺で再灌流(かんりゅう)後に移植された。症例は54歳の虚血性心筋症の患者で、手術は成功したものの患者は18日で肺炎のために死亡した。1968年末までに17か国で102例の心臓移植が行われ、このなかで日本でも、1968年(昭和43)に札幌医科大学教授であった和田寿郎(じゅろう)(1922―2011)によって18歳の弁膜症患者に対して心臓移植が行われたが、83日で死亡した。日本ではこの症例の脳死判定、手術適応、インフォームドコンセントのあり方等に不明朗な点が指摘され、その後脳死移植が社会的に認知されにくくなる遠因ともなった。諸外国においても、初期の心臓移植の成績が不良であったため、1970年代になるとスタンフォード大学のみで心臓移植は行われていたが、スタンフォード大学では独自に心筋生検法や病理組織学的な拒絶反応の診断法を開発し、1980年に画期的な免疫抑制剤シクロスポリン(サイクロスポリン)を採用することになり、心臓移植の成績は飛躍的に向上した。また、同時期より欧米において心臓移植が日常的な医療となり、世界における年間の心臓移植件数は1986年には1000例を超え、1991年には4000例に達し、2018年以降は8000例前後で推移している。

 国内では1997年(平成9)に「臓器の移植に関する法律(臓器移植法)」が制定され、法的に心臓移植が実施可能となり、1例目の心臓移植が1999年2月28日に大阪大学の松田暉(ひかる)(1941― )によって行われた。症例は拡張相肥大型心筋症による重症心不全のため拍動流植込型補助人工心臓ノバコアが装着された40歳代男性であった(移植後に社会復帰したが、10年めに胃がんで死去)。当初、「臓器の移植に関する法律」では本人の書面による意思表示がなければ脳死臓器提供ができなかったので、年に10例程度の心臓移植しか行われなかった。しかし、2010年(平成22)にいわゆる改正臓器移植法が施行され、本人の意思が不明な場合には、家族の同意で脳死提供できることになり、心臓移植件数も漸増し、2021年(令和3)末までに625例の心臓移植が行われた。15歳未満の者からの脳死臓器提供も認められるようになったので、2012年に乳幼児の心臓移植が初めて実施され、2021年末までに60例の18歳未満の小児に対する心臓移植が行われた。一方、2011年4月から在宅治療可能で比較的小型の非拍動流植込型補助人工心臓が心臓移植までの橋渡し治療として保険償還されたことや、登録患者の増加数が移植件数を大きく上回っているため、移植待機期間は長くなってきている。

[福嶌教偉 2023年1月19日]

心臓移植の成績と今後の課題

国内の心臓移植の成績は欧米よりも良好で、移植後の生存率は術後5年で93%、10年で89%、20年で78%である。心臓移植後の生活の質は移植を受ける前に比べて格段に向上する。移植後は仕事、通勤、通学を含め、ほぼ通常の生活が可能である。臓器移植においては他人の臓器を排除しようとする拒絶反応をいかに制御するかが重要なポイントである。拒絶反応を抑えるためには、カルシニューリン阻害剤とミコフェノール酸モフェチルを主体とした免疫抑制剤を使用し、急性拒絶反応で死亡する例は減少した。しかし、免疫機能を抑制しすぎると、逆に細菌やウイルスに対する抵抗力が弱まって感染が生じやすくなるため、移植後早期の死亡原因は感染症(26%)が多くを占める傾向にある。欧米の統計では、遠隔期になると慢性拒絶反応とされる移植心冠動脈硬化症、悪性腫瘍(しゅよう)等が主死因とされてきたが、細胞増殖抑制効果のある、新しい免疫抑制薬エベロリムスの登場で移植心冠動脈硬化症の予防と進行抑制がある程度可能となっている。

 心臓移植は重症心不全患者を救う手段として、現在のところ最良の方法である。一方で、臓器移植は脳死となった臓器提供者が存在してはじめて成立する医療であるので、この医療の恩恵を受けられる患者は臓器提供者の数に依存する。現在、心臓移植を必要とされる患者数は実際に移植を受けた患者の十数倍いると試算されている。実際、非拍動流植込型補助人工心臓の導入により心臓移植待機中の患者の死亡例は4分の1に減少したが、心臓移植までの平均待機期間が4年を超えてきている。したがって心臓移植にかわる治療として、人工心臓、再生医療、異種心臓移植等の代替医療の進歩とともに、一般国民のみならず医療者への移植医療の継続的な普及啓発が必要である。

[福嶌教偉 2023年1月19日]

『松田暉監修、布田伸一・福嶌教偉編『心臓移植』(2011・シュプリンガー・ジャパン)』『福嶌教偉「小児の心臓移植と補助人工心臓」(一般社団法人全国心臓病の子どもを守る会編著『新版 心臓病児者の幸せのために』所収・pp.162~169・2016・光陽メディカ)』『日本心臓移植研究会「日本における心臓移植報告(2022年度)」(『移植』57巻3号所収・pp.239~247・2022・日本移植学会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「心臓移植」の意味・わかりやすい解説

心臓移植 (しんぞういしょく)
heart transplantation

心臓の筋肉がさまざまの病気で治る見込みのない傷害を受け,ポンプとしての働きが悪くなったときに延命を図ろうとすれば,その人の心臓の代りに人工心臓か他の人の正常な心臓を用いることも必要となる。この他の人の心臓を体内に植え込むことを(同種)心臓移植という。心臓移植を必要とする病気は,心筋症,冠状動脈の硬化による高度の心筋の変化,技術的に手を加えることの困難な心臓奇形等である。心臓移植には二つの方法があり,元の心臓を除去してそのあとへ移植する同所性移植と,元の心臓はそのまま残して他の異なった場所へ移植する異所性移植である。現在おもに行われているのは同所性移植で,異所性移植は限られた施設でしか行われていない。

 心臓移植の歴史は古く,動物を用いた実験的試みは,アメリカのマンF.Mannが1933年に行っている。40年代になって臓器移植に伴う諸現象,とくに拒絶反応の機序の解明にイギリスのメダウォーPeter Brian Medawar(1915-87)らが大きな功績を残し,臓器移植熱が高まるにしたがって,心臓移植の可能性について多くの研究者が情熱を傾けるようになった。とくにアメリカのシャムウェーNorman Edward Shumway(1923-2006)らの基礎的研究の寄与するところが大きく,58年シャムウェー法といわれる移植手技が確立され,67年南アフリカ共和国のバーナードChristian Neethling Barnard(1922-2001)が人から人へ初めて心臓移植を行った。以後84年までにシャムウェーは300例以上の心臓移植を行い,全世界では他の施設でもこれとほぼ同数の移植が行われていると思われる。また心臓に異常があると肺に病変を合併することがあり,このような例では心肺同時移植が必要であって,1968年にアメリカのクーリーDenton Cooley(1920- )が行い,シャムウェーも83年5月までに13例にこの手術を行っている。日本でも1968年,和田寿郎が心臓移植を行った。心臓移植の成績は年ごとに向上し,80年以後では成人で移植後1年生存率は90%に達し,最長生存は術後20年に至っている。しかし,心肺同時移植の成績はやや劣るのが現状である。

 臓器移植では,拒絶反応(自己のものと異なったタンパク質を排除しようとする反応)とともに,必ず臓器提供者(ドナーdonor)の問題がある。とくに心臓の場合には,正常に拍動している心臓を移植しなければならず,従来の〈心臓が停止した時〉をもって死とする考えでは心臓の提供者は得られず,〈脳機能が停止した時〉を死とする脳死が,法的に社会的に認められなければならない。諸外国では心臓移植がすでに標準的治療法として認められ,行われているけれども,日本でも97年10月にようやく臓器移植法が施行され,限られた医療施設において脳死体からの臓器移植が可能になった。

 心臓移植の成績が向上してきたのは,組織型のよく適合した提供者が選べるようになったこととともに,拒絶反応を防止する移植免疫抑制法が進歩したためである。免疫抑制剤として従来用いられていた代謝拮抗剤,副腎皮質ホルモン,抗ヒトリンパ球血清のほかに,1980年以後はサイクロスポリンcyclosporine,FK407等が使用されるようになって,各種臓器移植の予後は著しく改善されており,心臓移植もその例外ではない。今後に残された問題は,心臓移植を必要とする人が手術を待っている間にその1/3が死亡する現実からみて,提供心臓を長時間保存する方法の開発であり,また免疫抑制法に基づく感染も依然として大きな課題の一つであるため,より優れた免疫抑制法の研究等があげられる。
臓器移植
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百科事典マイペディア 「心臓移植」の意味・わかりやすい解説

心臓移植【しんぞういしょく】

心臓を切除してそのあとに他の個体の心臓を移植すること。実験的に成功をみたのは1960年代。人工心肺を使う方法と低体温麻酔を使う方法とがある。臨床的には,1967年12月に南ア共和国のC.バーナードにより行われたものが最初の成功例で,日本では1968年札幌医大の和田寿郎により行われた。拒絶反応のため生存率はきわめて低かったが,1980年代に入って強力な新しい免疫抑制剤のシクロスポリンが使われはじめて生存率が向上してきている。しかし,心臓移植では生きた心臓を切り取り移植するわけで,心臓提供者の死の判定について大きな社会的・法律的問題を提起している。→脳死臓器移植
→関連項目心臓外科バーナード和田寿郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「心臓移植」の意味・わかりやすい解説

心臓移植
しんぞういしょく
heart transplantation

臓器提供者 (ドナー) から取った心臓を受容者 (レシピエント) に移植すること。人間における世界最初の臨床例は,1964年6月にアメリカのミシシッピ大学の J.ハーディがチンパンジーの心臓を人間に移植した例である。チンパンジーの心臓の血液ポンプ力が小さいためにこの例は失敗したが,67年 12月に南アフリカ共和国で C.バーナードによって行われたヒトからヒトへの心臓移植は一応成功し,患者は 18日間生存した。その後,心臓移植の臨床例は世界中に広まり,68年8月には札幌医科大学の和田寿郎らが日本において初めて実施し,一応の成功をみたが,患者は術後 83日目に死亡し,手術の是否について大きな論議を引起した。心臓移植の問題の第1はドナーであり,人間の心臓を用いるかぎり,死の定義 (脳死の是非) ,社会通念,倫理観などに関した制約が大きな影響をもつ。他種の動物からの異種移植や人工心臓が実用可能になれば,このドナーの問題は解決できる。第2の問題は拒絶 (または拒否) 反応である。生体の免疫現象に由来する移植臓器への拒絶反応を克服するためには,分子生物学の進歩を待たねばなるまい。第3は臓器の保存および適合した組織タイプの登録システム,すなわち臓器バンクのシステムであろう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

六訂版 家庭医学大全科 「心臓移植」の解説

心臓移植
(循環器の病気)

 ほかの方法では改善が見込めない重症慢性心不全の治療法です。脳死ドナー(臓器提供者)からの提供があって成り立つ医療ですし、現在はドナーの数が限られているので、心臓移植の必要性を外部の機関で十分に検討し、(社)日本臓器移植ネットワークに登録をして待機します。

 人工心臓は原則として、移植のドナーが現れるまでの間をしのぐために使われます。

 心臓以外に重大な病気のない比較的若年の人が、心臓移植の対象になります。移植を受けた人の生活の質(QOL)は著しく向上し、過半数の人が10年以上生存します。

 ただし、急性拒絶反応を予防するために免疫抑制薬をのみ続けなければならず、感染症などの副作用に常に注意が必要になります。また、数年の経過で慢性拒絶反応といわれる冠動脈硬化が現れることが問題になっています。

出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報

知恵蔵 「心臓移植」の解説

心臓移植

心臓の働きが望めなくなった時の治療法。1967年に南アフリカ共和国のC.バーナードが行ったのが最初。現在では、心臓移植の延命率及び生存率は向上している。心臓障害はよく肺高血圧症などを伴い、逆に肺の病変で心臓が障害を受けることがある。両臓器が侵されると心肺移植が治療法となる。日本では、脳死による心臓移植が99年から開始された。

(今西二郎 京都府立医科大学大学院教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

世界大百科事典(旧版)内の心臓移植の言及

【死】より

…やがて医療技術が向上し免疫抑制剤の進歩もあって,欧米を中心とする諸外国では機能の減退した臓器を他人のそれで置き換える臓器移植が進展してきた。なかでも心臓移植においては従来の3徴候による死の判定では対応できず,新しい死の定義は必須となった。ここに,脳死の問題は臓器移植と絡んで社会の論議の対象とされた。…

【手術】より


【今日の外科と将来】
 このように以前には考えられもしなかったような手術も可能となり,しかも死亡率も低下して手術効果が期待できるようになると,ただ病巣を取り去るということだけにとどまらず,新しい臓器で古い廃疾臓器を補塡(ほてん)しようとする気運が生まれた。これが臓器移植とよばれるもので,1967年南アフリカ共和国のバーナードC.Barnardが行った世界最初の(ヒトからヒトへの)同種心臓移植が強烈な印象を残しているが,臓器移植としてはこれが最初のものではなく,すでに1902年に腎臓移植の報告がなされている。臓器を移植した場合,移植した臓器を長期間生着させることがなかなかできなかった。…

【心臓外科】より

…45年には大動脈縮窄症の手術にグロス,スウェーデンのクラフォードClarence Crafoord(1899‐ )が成功し,ファロー四徴症の治療として,アメリカのブラロックAlfred Blalock(1899‐1964)が血管吻合(ふんごう)手術を行い好成績をあげるに及んで,心臓外科に対する関心がにわかに高まってきた。以後,今日までの50年間の心臓外科の進歩はめざましいものがあり,諸外国では心臓移植が標準的治療として受け入れられるまでに至った。日本でも97年から臓器移植法が施行されたため,ようやく心臓移植への道が開かれた。…

※「心臓移植」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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