恵日寺
えにちじ
[現在地名]唐津市鏡字山添
鏡山西山麓にある。曹源山と号し、曹洞宗。本尊は観世音菩薩。
縁起によれば、開山は寂門和尚(宗祐)で永和元年(一三七五)建立という。もと天川村(現東松浦郡厳木町)にあったが、応永年中(一三九四―一四二八)に半田村(現半田)河内に移り勝楽寺と称した。山ノ寺ともよび、いまも寺跡がある。その後、鬼ヶ城主草野宗誉の崇敬厚く、矢作分(現矢作)鏡山山腹に移され、永禄年中(一五五八―七〇)華谷和尚が鏡宮境内八丁芝原(俗称鏡の原)の現在地に移した。藩政期、藩主より合力米一石三斗の寄進があった。
裏庭は鏡山を借景にし、曾呂利新左衛門の作庭と伝える。
恵日寺
えにちじ
[現在地名]香我美町山北
聞楽山の東方尾根続きの恵日寺山(三七〇メートル)山頂にある。真言宗智山派。岩清水山観足院と号し、本尊は十一面観音。地元では「えんにち寺」とよぶ。
勧化序(「香美郡町村誌」所収)によれば、神亀二年(七二五)行基の開創という。鎌倉極楽寺初代忍性から土佐国守護所宛の年未詳七月二七日付恵日寺院主職補任通知状(東大史料編纂所蔵)は当寺の歴史の古さを語るもので、また暦応三年(一三四〇)一二月九日付恵日寺院主職補任状(鎌倉市覚園寺文書)は、翌四年八月二七日付大忍庄内長谷寺院主職宛行状(蠧簡集)とともに、南北朝初期の大忍庄の支配関係を知る貴重史料である。
恵日寺
えにちじ
[現在地名]稲沢市西島町 下山
小高い所にあるので、山寺とよばれる。霊島山と号し、曹洞宗。本尊観世音菩薩。境内七六二坪。創建は永享年間(一四二九―四一)(徇行記)、文安元年(一四四四)(日本洞上聯灯録)、明応九年(一五〇〇)(慧日祠堂過去霊会日鑑)の三説がある。
恵日寺
えにちじ
[現在地名]いわき市四倉町玉山
字牧ノ下にあり、甚光山毘盧遮那院と号し、真言宗智山派。本尊大日如来。徳一が開いたと伝え、会津の恵日寺(現磐梯町)と同様の縁起をもつ。平将門の三女如蔵尼が地蔵を背負い寺の脇に庵を結んだという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
恵日寺【えにちじ】
福島県磐梯(ばんだい)町にある真言宗豊山派の寺。会津大寺(あいづおおてら)・大寺薬師とも称し,慧日寺とも記す。本尊は千手観音。平安初期の草創,開山は法相宗の徳一(とくいち)。のち真言宗に改宗,磐梯山信仰とも結び,磐梯明神の神事を司る別当寺となり寺勢を伸ばし,会津四郡すべてを寺領とし,門前集落(大寺)を形成したという。1418年をはじめ数度の火災に罹災。明治の神仏分離で境内社の磐梯神社が旧金堂を社殿として独立,住持が宮司となったため廃寺になったが,子院の観音院が1913年寺名を再興。白銅三鈷杵は徳一の請来品と伝え重要文化財。
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恵日寺
えにちじ
福島県耶麻(やま)郡磐梯(ばんだい)町にある真言宗豊山(ぶざん)派の寺。磐梯山(ばんたいさん)と号する。807年(大同2)徳一(とくいつ)の開基と伝える。本尊は千手観音(せんじゅかんのん)。会津仏教文化の中心をなし、会津大寺といわれ、盛時には18万石を領し、子院3800を数えたという。1589年(天正17)伊達政宗(だてまさむね)の会津侵攻で多くの堂塔伽藍(がらん)を焼失、のち保科(ほしな)氏の援助で再建されたが、明治の神仏分離で一時は廃寺となった。現在、遺跡が慧日寺(えにちじ)跡として国史跡に指定され、金堂や中門が復元されている。寺宝に国指定重要文化財の白銅製三鈷杵(さんこしょ)、ほかに鉄鉢(てっぱつ)、絹本着色「恵日寺絵図」がある。
[金岡秀友]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
恵日(えにち)寺
佐賀県唐津市、鏡山の麓にある曹洞宗の寺院。山号は曹源山。本尊の観世音菩薩は佐用姫観音とも呼ばれる。1026年に朝鮮で鋳造された銅鐘は国の重要文化財に指定。
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