愛宕山(読み)あたごやま

精選版 日本国語大辞典 「愛宕山」の意味・読み・例文・類語

あたご‐やま【愛宕山】

[一] 京都市右京区北西部の山。比叡(ひえい)山と東西相対してそびえる。山頂に愛宕神社(一)がある。標高九二四メートル。あたごさん。白雲(はくうん)山。
[二] 東京都港区芝公園北方の小丘。山頂に愛宕神社(四)がある。男坂の石段は曲垣(まがき)平九郎の馬術で有名。大正一四年(一九二五)、日本最初の放送局である日本放送協会(NHK)東京放送局が設置された。標高二六メートル。

あたご‐さん【愛宕山】

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デジタル大辞泉 「愛宕山」の意味・読み・例文・類語

あたご‐やま【愛宕山】

京都市右京区にある山。標高924メートル。東の比叡山ひえいざんと相対する。山頂に愛宕神社がある。あたごさん。
東京都港区芝公園北方の小丘陵。標高26メートル。山頂にある愛宕神社への石段は、曲垣平九郎まがきへいくろうが馬で上下した講談で知られる。大正14年(1925)日本最初のラジオ放送所が開設された地。
千葉県南部、鴨川市と南房総市の境にある山。房総丘陵南部にあり、標高408メートルで千葉県の最高峰。山頂からは太平洋・東京湾が一望できる。

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日本歴史地名大系 「愛宕山」の解説

愛宕山
あたごやま

上嵯峨かみさが村の北西、うめ畑中島はたなかじま村の西にそびえる海抜九二四メートルの山。旧山城国と旧丹波国との境界をなす。阿多古・愛宕護・阿当護・阿太子とも書き、はく山・朝日峰・白雲山などともよぶ(雍州府志)。「扶桑京華志」に「其山有五岳、一朝日岳建白雲寺、今神廟鎮座地也、二曰大鷲峰乃月輪寺地也、三曰高雄山乃神願寺(神護寺)地也、四曰竜上山乃日輪寺地也、五曰賀魔蔵山乃伝法寺地也」とあり、白雲寺のあった朝日峰をはじめ、中国の五台ごだい山に模して山中の五山に五寺があった。

愛宕山
あたごやま

JR甲府駅の北東、相川あいかわ北原きたはら両扇状地の境に位置する山。標高四二二・九メートル。北に夢見ゆめみ山・大笠おおがさ(東光寺山)が続く。「甲斐国志」によれば、かつては甲斐奈かいな山といい、白山権現(現甲斐奈神社)が鎮座したが、要害の地であるので永正年中(一五〇四―二一)武田信虎により蔵田くらた村に移された。その後江戸時代中期まで三月一一日の初午の日に山上の旧地へ神輿の御幸が行われていたという。天文二一年(一五五二)武田信玄の母大井氏の死去に伴い南麓に長禅ちようぜん寺が創建されると、愛宕山から夢見山に至る山林は同寺領となり、長禅寺山とよばれた。

愛宕山
あたごやま

[現在地名]高知市愛宕山

高知城の北方、東流する久万くま川の左岸にある小高い山。古くは浦戸うらど湾の入江に突出する岬で、この辺をさきとよんだという。愛宕山西側にあった入江に津があり、東の長岡郡の大津おおつ、南の土佐郡くち小津おづに対して中津なかつともいわれた(南路志)。この地に寛永六年(一六二九)、もと福島正則の家臣で、のち土佐藩二代藩主山内忠義の家臣となった仙石但馬守久勝が山城の愛宕山大権現を勧請、以来、愛宕山と称されるようになった。

愛宕山
あたごやま

前田まえだの西方土師はぜとの境にある。標高約五四メートル。長田野おさだの段丘の末端が頸部浸食によって段丘と断絶して円形の小山となったもので、頂上に愛宕神社を祀る。古くは手白てじろ山といった。なお江戸時代には「手白山 山ハ土師村ノ地、社ハ前田村也」(丹波志)であった。

永正―大永(一五〇四―二八)の頃、奄我あんが猪崎いざき城主塩見氏の一族がこの山で合戦して功を立て、その郎党が負傷したので丹波の守護細川高国より感状(塩見信男家所蔵文書)をもらっているが、合戦の相手はだれであったか明らかでない。

愛宕山
あたごやま

片屋かたやの東部にある。標高一〇三・一メートル。元禄年間(一六八八―一七〇四)本多富正によって山頂に勧請された愛宕神社(別当は府中国分寺)から山名が生じた。また片屋村内であっても本保ほんぼ村河野次郎右衛門の持山であったため、本保山ともよばれた。山頂には円墳があったらしいが愛宕神社の勧請の際破壊されたという。稜線上には二群約八〇基の古墳が分布し、北群は全長約四〇メートルの前方後円墳一基と方墳・円墳五〇余基からなる。内部主体は不明だが四―五世紀代のものと思われ、また南群は全長約三〇メートルの前方後円墳一基と円墳約二〇基からなる。

愛宕山
あたごやま

[現在地名]仙台市向山四丁目

広瀬川右岸沿いの標高八〇メートル前後の小山で、青葉あおば山の本丸跡とともに仙台市街を眺めるには格好の場となっている。どの方角からも仰ぐことができるためむかい山とも称された。近世は根岸ねぎし村のうちであったが、安政仙府絵図では城下内で、山頂には愛宕神社、その西に虚空蔵堂、その南西に曹洞宗大満だいまん寺がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「愛宕山」の意味・わかりやすい解説

愛宕山 (あたごやま)

京都市右京区北西部にある山。標高924m。古生層からなり,周囲の標高500~600mの山地の面の上に突出している。山城国と丹波国との国境に位置し,山頂の愛宕神社は全国的な信仰圏をもっている火難よけの神の総本社。現在,8月1日の千日詣,11月の亥猪祭などがにぎわうが,かつて山上の行事であった柱松明は山下の嵯峨清凉寺で行われている。南東麓の清滝は愛宕神社の鳥居前町として起こり,いまは紅葉の名所として有名。
執筆者:

愛宕山は火防の神を祭る山として広範な地域から信仰を集めている。《愛宕山縁起》によると,役行者(えんのぎようじや),雲遍上人(泰澄)を開祖,慶俊を中興の祖とし,和気清麻呂が唐の五台山を模して朝日,大鷲,高見,竜上,賀魔蔵の五峰に寺を建て愛宕五台山としたという。五ヵ寺の歴史は明らかではないが,朝日峰の白雲寺が本地仏勝軍(将軍)地蔵を祭り,京都東山の将軍塚とともに京を守護する塞(さえ)の神(勝軍は塞の神の変化と考えられている)を祭る山として信仰されてきた。また天狗伝承も愛宕山を特色づけている信仰の一つで,愛宕山の天狗は太郎坊と呼ばれ,日本第一の天狗と位置づけられている。
愛宕信仰
執筆者:

愛宕山 (あたごやま)

東京都港区北東部,芝公園の北に続く洪積層の小丘。標高25.7m。武蔵野台地の東端部が分離して,南北約500mにわたって島状に残ったもの。江戸時代には月見や雪見の名所とされていた記録もあり,1897年の《新撰東京名所図会》では東京一の眺めと記されている。山上に1603年(慶長8)に京都の愛宕神社を勧請した愛宕神社がまつられ,東側社前の急斜面には男坂,女坂がある。86段ある男坂の石段は,講談《寛永三馬術》の曲垣(まがき)平九郎の話で名高く,社前に曲垣平九郎手折りの梅もあるが,神社には平九郎に関する記録は残っていない。山上には小さな公園があり,また1925年7月,ここに設けられた東京中央放送局の放送所から日本初のラジオ本放送が開始された。39年に放送所が内幸町の放送会館に移ったあとは,56年以降NHK放送博物館となって,一般に公開されている。68年の改築を機に,NHK放送文化研究所も新築された。
執筆者:

愛宕山 (あたごやま)

落語。上方落語で,3代目三遊亭円馬が東京へ移した。芸者や幇間を連れた旦那が,京都の愛宕山でかわらけ投げに興じたのちに小判を谷底へ投げ,拾った者にくれるというので,幇間一八(いつぱち)が番傘につかまって谷底へおりて小判を拾い,羽織や着物を裂いて縄にして竹に結び,その弾力で飛びあがった。旦那が〈金は?〉と聞くと,〈あっ忘れて来た〉。落ちは拍子落ち。早春の京都の風景を背景とした佳編。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「愛宕山」の意味・わかりやすい解説

愛宕山
あたごやま

東京都港区の芝公園北側にある洪積台地。標高 26m。山上の愛宕神社前にある男坂の石段は,寛永 11 (1634) 年曲垣平九郎 (まがきへいくろう) が乗馬のまま昇降し,手折った梅花を3代将軍徳川家光に献上したとして知られる (講談「寛永三馬術」などに脚色) 。 1925年この地に社団法人日本放送所 (日本放送協会の前身) が設けられ,ラジオ放送の発祥地であった。現在,NHK放送文化研究所および放送博物館がおかれている。

愛宕山
あたごやま

千葉県南部,鴨川市南房総市の境にある県下の最高峰。標高 408m。加茂川の谷の南に位置する。東麓には日本酪農の発祥地といわれる嶺岡牧場がある。嶺岡山系県立自然公園に属し,山頂からは西に内房海岸,東に外房海岸が眺められ,格好のハイキング地として親しまれている。

愛宕山
あたごやま

京都市西部,山城と丹波の境にある山。朝日岳ともいう。標高 924m。古生層の岩石からなり,山頂は浸食から残った残丘。別称朝日岳は京都を囲む山のうちで最も早く朝日に照らされることに由来。山上には愛宕神社があり,昔から火伏 (ひぶせ) の神として参詣者が多い。山腹には月輪寺のほか,空也滝,寒蝉滝などがある。南東の山麓を流れる清滝川は峡谷美に富みゲンジボタルおよびその生息地 (国指定天然記念物) となっている。

愛宕山
あたごやま

千葉県北東部,銚子市南端にある山。最高点 74m。付近は愛宕山を中心として古生代の愛宕山層と中生代の銚子層が島のような状態で基部の層の上に突出。周辺の海岸は海食が働いて,犬吠埼の奇勝や屏風ヶ浦の絶壁を形成。愛宕山頂上にある地球展望台からの眺めは有名。水郷筑波国定公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「愛宕山」の解説

愛宕山

古典落語の演目のひとつ。上方ばなし。三代目古今亭志ん朝が得意とした。オチは間抜けオチ。主な登場人物は、幇間。京都・愛宕山の愛宕神社ではかつて「土器(かわらけ)投げ」が名物であったのを題材とする。

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事典・日本の観光資源 「愛宕山」の解説

愛宕山

(福岡県福岡市西区)
福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。

愛宕山

(京都府京都市右京区)
七高山」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の愛宕山の言及

【愛宕信仰】より

…京都愛宕山にまつられている愛宕神社を中心とする信仰。火伏せの信仰が中心である。…

※「愛宕山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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