愛川欽也(読み)あいかわきんや

知恵蔵 「愛川欽也」の解説

愛川欽也

日本の俳優タレント司会者、ラジオパーソナリティー。1934年6月25日、東京都生まれ。本名は井川敏明(いがわとしあき)。「キンキン」の愛称で親しまれ、人気テレビ・ラジオ番組の司会者や俳優、声優など、幅広いジャンルで活躍した。妻はタレントのうつみ宮土理(みどり)。
埼玉県立浦和高校を中退後、54年から俳優座養成所で研究生として演技を学んだ。洋画や海外ドラマの声優として活動し、アメリカの名優、ジャック・レモンの吹き替えで頭角を現した。
58年、「おかあさん」(TBS系列)でテレビドラマデビュー。70年代に深夜ラジオ番組「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)のパーソナリティーを務めて人気となる。その後、「11PM」(日本テレビ系列)や「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系列)、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系列)など人気番組の司会を担当した。「11PM」は12年間 、「なるほど!ザ・ワールド」では15年間司会を務め、多くの長寿番組に関わったことでも知られる。
俳優としては、親友の菅原文太と共に、東映に企画を持ち込んだという75~79年の映画「トラック野郎」シリーズが大ヒット。菅原演じる主人公「一番星」の相棒やもめジョナサン」を好演した。またテレビでも、「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系列)の「西村京太郎トラベルミステリー」シリーズの亀井刑事役を始め、幅広い役を演じた。
「劇団キンキン塾」を主宰し、自身が理想とする芝居の実現にも取り組んだ。2009年には、私財を投じて東京・中目黒に小劇場を開設。おしどり夫婦で知られた妻うつみの愛称「ケロンパ」と自身の愛称にちなんで「キンケロ・シアター」と名付け、自身の監督作品などを上演した。
1995年の番組開始から司会を務め、「おまっとさんでした」のあいさつで始まる「出没!アド街ック天国」では、2014年9月、情報番組の世界最高齢司会者としてギネス記録に認定されたが、15年3月の放送1000回記念番組を区切りに退いた。
14年冬に肺がんが判明し、自宅療養を続けていたが、15年4月15日、容体が急変し80歳で死去。所属事務所によると、息を引き取る直前まで「仕事に行こう」と話していたという。本人の意向で近親者により密葬が営まれた。

(南 文枝 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「愛川欽也」の解説

愛川欽也

日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ、司会者。1934年6月25日、東京生まれ。愛称「キンキン」。58年、「おかあさん」(TBS系列)でテレビドラマデビュー。70年には人気深夜ラジオ「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)のディスクジョッキーとして人気を博す。映画では「トラック野郎」シリーズ(75~79年)の「やもめのジョナサン」役他、多数に出演。また、土曜ワイド劇場「西村京太郎トラベルミステリー」(テレビ朝日系列)で主人公の亀井刑事役として81年から31年間にわたり全57作に出演した。78年、タレントのうつみ宮土理と結婚。81年に「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系列)、95年には「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系列)の司会となり、後者では2014年9月に「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネスブックに認定された(15年3月7日の放送1000回記念特番をもって降板)。

(2015-3-9)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「愛川欽也」の解説

愛川欽也 あいかわ-きんや

1934-2015 昭和後期-平成時代のタレント。
昭和9年6月25日生まれ。昭和31年俳優座スタジオ劇団三期会に入団。退団後テレビの外国映画の吹き替えやラジオのディスクジョッキーで人気をえる。50年から映画「トラック野郎」シリーズに出演。テレビ番組の司会,ドラマなどで活躍。妻はタレントのうつみ宮土理。平成27年4月15日死去。80歳。東京出身。浦和高卒。本名は井川敏明。愛称はキンキン。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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