戸田康長(読み)とだ・やすなが

朝日日本歴史人物事典 「戸田康長」の解説

戸田康長

没年:寛永9.12.12(1633.1.21)
生年永禄5(1562)
安土桃山・江戸時代前期の武将,上野白井,下総古河,常陸笠間,上野高崎,信濃松本藩主。松平を称す。丹波守。三河松平氏の武将戸田忠重の子として三河二連木(愛知県豊橋市)に生まれる。永禄10(1567)年,父の死去で遺跡相続したとき,家康の異父妹と結婚,家康から松平姓を賜る。これが賜姓松平の最初といわれる。以後,高天神,小牧長久手,小田原などに出陣。天正18(1590)年,徳川氏の関東入国に従い,武蔵深谷1万石。慶長5(1600)年関ケ原に活躍し,翌年白井2万石,翌年古河2万石,同17年笠間3万石,大坂冬夏両陣で戦功を立て,元和2(1616)年高崎5万石,翌年松本7万石。領内では検地による郷村把握や手工業の発展に尽くす。元和9年,新将軍家光に付属され,寛永9(1632)年秀忠死後に江戸城西之丸の留守居となったが,同年死去。<参考文献>金井円『近世大名領の研究

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田康長」の解説

戸田康長 とだ-やすなが

1562-1633* 織豊-江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)5年生まれ。三河(愛知県)二連木(にれんぎ)城主戸田忠重(ただしげ)の子。妻は徳川家康の異父妹松姫。永禄10年松平姓をゆるされる(他家への賜姓松平の最初)。天正(てんしょう)18年家康の関東入国の際,武蔵(むさし)東方(ひがしかた)1万石をあたえられ,上野(こうずけ)白井藩,下総(しもうさ)古河(こが)藩,常陸(ひたち)笠間(かさま)藩,上野高崎藩をへて,元和(げんな)3年信濃(しなの)(長野県)松本藩主戸田(松平)家第1次初代となる。7万石。寛永9年12月12日死去。71歳。通称は孫六郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田康長の言及

【戸田氏】より

…近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。…

※「戸田康長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android