承徳(読み)じょうとく

精選版 日本国語大辞典 「承徳」の意味・読み・例文・類語

じょうとく【承徳】

(「しょうとく」とも) 堀河天皇の代の年号。永長二年(一〇九七)一一月二一日に天変地震などのため改元、承徳三年(一〇九九)八月二八日に康和元年となる。関白藤原師通。出典は「周易」の「幹父之蠱用誉承以徳也」による。

しょうとく【承徳】

中国河北省北東部、灤(らん)河上流の武烈河(熱河)西岸にある都市。旧熱河省省都旧称、熱河。市北西に清朝歴代皇帝の夏季行宮(あんぐう)があった。

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デジタル大辞泉 「承徳」の意味・読み・例文・類語

しょうとく【承徳】

中国河北省北東部の都市。旧熱河省の省都。朝の避暑のための離宮などがのこる。チョントー

しょうとく【承徳】[年号]

《「じょうとく」とも》平安後期、堀河天皇の時の年号。1097年11月21日~1099年8月28日。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「承徳」の意味・わかりやすい解説

承徳
しょうとく / チョントー

中国、河北(かほく)省北部の地級市。3市轄区、5県、3自治県を管轄する(2016年時点)。人口380万7000(2014)。灤河(らんが)の上流、燕山(えんざん)山地の東部にあり、河北平野と内モンゴル自治区東部、遼寧(りょうねい)省西部を結ぶ交通の要衝で、張家口(ちょうかこう)と並ぶ河北省北部の中心都市である。主要な農産物は雑穀、薬材、果物などで、鉄鉱を産し鉄鋼・機械工業が発達する。錦承線(錦州(きんしゅう)―承徳)、京通線(北京(ペキン)―通遼(つうりょう))、2015年開通の張唐線(張家口―唐山(とうざん))が通る。

 清(しん)の康煕帝(こうきてい)のとき、元の北京に対する上都に倣い、夏季の避暑地として離宮が置かれ、付近の河川の名にちなんで熱河(ねっか)庁が設けられ、宮室の直轄地となった。のち承徳府と改められ、1928年熱河省が置かれたときは省都となった。1948年市になるとともに南の下板城鎮(かばんじょうちん)には承徳県が置かれた。

 離宮である避暑山荘は面積564万平方メートル、多くの建造物、庭園を含み、現存する中国最大の王宮遺跡である。このほか「外八廟(がいはちびょう)」とよばれる普寧(ふねい)寺、普楽寺、普陀(ふだ)宗乗廟などのチベット仏教(ラマ教)寺院も離宮に付随して建てられた。これらは1994年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「承徳の避暑山荘と外八廟」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[秋山元秀・編集部 2017年3月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「承徳」の意味・わかりやすい解説

承徳 (しょうとく)
Chéng dé

中国,河北省北東部の都市。旧称は熱河。灤河(らんが)上流の武烈河に沿い,付近から温泉が出るのでこの河を熱河といったのが地名のもとである。古来,烏桓,鮮卑,契丹などの諸民族が興亡した舞台で,南は古北口を経て北京に通じ,北は赤峰,西はドロン・ノールに至る万里の長城外の交通上の要衝を占める。清代の康煕42年(1703),康煕帝がここに離宮として避暑山荘を経営し,その中に普陀宗乗之廟,須弥福寿廟という二大ラマ廟を建築した。歴代の皇帝は毎年5月から9月まで百官をひきいて滞在したので,離宮南部にはしだいに都市が発達した。1793年(乾隆58)イギリスのマカートニー卿がここに乾隆帝を訪問して以来,ヨーロッパ人には熱河の音Rè héをなまったジョホールJeholの名で知られている。承徳というのは1733年(雍正11)に承徳州を置いたのが始まりで,中華民国では承徳県となり,1928年に熱河省が新設されると省都がおかれた。今日では京承(北京~承徳),錦承(錦州~承徳)両線の終点で,承徳地区公署の所在地である。付近の農畜産物の集散地で機械工業も行われている。
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百科事典マイペディア 「承徳」の意味・わかりやすい解説

承徳【しょうとく】

中国,河北省北部の都市。旧名は熱河。京承・錦承2鉄路によって,北京・錦州と連絡する。付近は農牧業が盛んで,薬材・毛皮・穀物・フェルトなどの取引が行われる。市の北西には清朝の避暑山荘(熱河離宮)があり,またラマ教(チベット仏教)の大寺院がある。離宮とラマ教寺院で現存する外八廟は1994年世界文化遺産に登録された。60万人(2014)。
→関連項目平泉

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日本の元号がわかる事典 「承徳」の解説

じょうとく【承徳】

日本の元号(年号)。平安時代の1097年から1099年まで、堀河(ほりかわ)天皇の代の元号。前元号は永長(えいちょう)。次元号は康和(こうわ)。1097年(永長2)11月21日改元。天変と地震の凶兆・凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『周易(しゅうえき)』を出典とする命名。

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世界大百科事典(旧版)内の承徳の言及

【瀋陽】より

…1636年(崇徳1)国号を清と改め,順治年間(1644‐61)都を京師順天府(今の北京)に定めた後は盛京を陪都とした。そしてここを承徳県と名づけ,奉天府の府治とした。清朝は山海関より外,内モンゴル・外モンゴル以東の,奉天府尹および奉天,吉林,黒竜江の三将軍の所轄地区をすべて盛京統部に属せしめた。…

【熱河省】より

…中国の旧省名。現在の河北省北東部の承徳地区から内モンゴル自治区南東部の昭烏達盟と哲里木盟の一部,および遼寧省西端にかけての地域を行政区域とした。清朝乾隆年間(1736‐95),承徳府におかれた熱河副都統(のち都統)の管轄範囲であった昭烏達,卓索図2盟に由来(卓索図盟は今日の承徳地区にほぼ一致する)し,1914年特別区に改められ,さらに28年省がおかれ,承徳を省会としたが,56年廃止。…

※「承徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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