摂津市(読み)セッツシ

デジタル大辞泉 「摂津市」の意味・読み・例文・類語

せっつ‐し【摂津市】

摂津

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「摂津市」の解説

摂津市
せつつし

面積:一五・七一平方キロ

淀川右岸、大阪平野の北東部を占めるいわゆる三島平野の南西部に立地。市域は淀川右岸から千里丘陵の南東側に東西約六キロ、南北約五キロのL字形をなす。北は茨木いばらき市、西は吹田すいた市および大阪市東淀川区、南は淀川を隔てて守口もりぐち市・寝屋川市、東端部は高槻たかつき市に接する。市の中央を北摂山地から流れ出た安威あい川が淀川に並行して貫流、南西端の一津屋ひとつや付近で淀川から分流した神崎川と、吹田市高浜たかはま橋東で合流する。また千里丘陵に発した山田やまだ川・正雀しようじやく川・さかい川や大正たいしよう川が、北西部を貫流して安威川に注ぎ込む。市域は淀川・神崎川・安威川に囲まれて輪中をなす南東部の低湿地(鳥飼地区・味生地区)と、北西部の千里丘陵南裾部(三宅地区・味舌地区)に分れるが、おおむね低湿である。昭和四一年(一九六六)市制施行、旧国名をとって市名とした。

〔原始・古代〕

当地は古墳時代頃まで河内湖の北辺にあたっており、また淀川・安威川などに絶えず洗い流されていたこともあって、遺跡の検出は少ない。最近まとまって発掘されたものとして、昭和四九年淀川改修工事に関連した発掘調査が行われた鳥飼西とりかいにしの淀川河床遺跡があるのみである。これは縄文時代から近代に至る各時代の複合遺跡であるが、淀川河底に位置するため、上流からの流出物とも考えられる。土器などの採集は各地で行われ、庄屋しようや一丁目の明和めいわ遺跡からは弥生式土器・須恵器が出土したと伝えられ、千里丘せんりおか四丁目付近の東海道本線の敷地内からも須恵器が採集されている。

「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月四日条に三島県主飯粒が献上したという竹村たかふ屯倉(茨木市の→竹村屯倉三宅みやけ地区にあてる説もある。また鳥飼とりかい(鳥養)の地名は古代の部民の一つである鳥養部の居住にちなむと推定される。律令体制のもとでは、現在の市域は島下しましも郡南西部を占め、「和名抄」の郷ではわずかに穂積ほづみ郷に三宅付近が含まれるだけであったと思われる。そして淀川沿岸部は近都牧として利用され、右馬寮の官牧であった鳥養牧がおかれ、馬の放飼・繋飼が行われた。鳥養牧には宇多法皇の離宮であった「鳥飼院」や、港津もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「摂津市」の意味・わかりやすい解説

摂津〔市〕
せっつ

大阪府中央北部,淀川右岸の市。 1956年,味舌 (ました) 町と味生 (あじふ) ,鳥飼 (とりがい) 2村が合体して三島町となり,66年市制。市域の大部分は淀川,安威 (あい) 川の沖積低湿地で,かつては米作中心の農業地域であったが,第2次世界大戦前後から化学,金属,機械などの工場が進出。南部の鳥飼には新幹線の操車場,大阪銘木団地がある。ほかにも倉庫や運輸関係の施設が多い。近畿自動車道が通り,南部と北部にインターチェンジがある。面積 14.87km2。人口 8万7456(2020)。

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