敢国神社(読み)あえくにじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「敢国神社」の意味・読み・例文・類語

あえくに‐じんじゃ あへくに‥【敢国神社】

三重県上野市一之宮にある神社。旧国幣中社。伊賀国阿拝(あえ)郡開拓の祖神、敢国津命(あえのくにつのみこと)(=大彦命)ほか二柱をまつる。延喜式内大社。伊賀国一の宮。

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デジタル大辞泉 「敢国神社」の意味・読み・例文・類語

あえくに‐じんじゃ〔あへくに‐〕【敢国神社】

三重県伊賀市にある神社。祭神は敢国津神あえのくにつかみ伊賀国一の宮

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日本歴史地名大系 「敢国神社」の解説

敢国神社
あえくにじんじや

[現在地名]上野市一之宮

東南方に南宮なんぐう(約三五〇メートル)を負う伊賀国一宮。旧国幣中社。現祭神は中央に大彦命、右に金山比命、左に少彦名命。「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)六月四日条に「伊賀国敢国津神等並従五位下」とあり、「三代実録」に貞観九年(八六七)一〇月五日従五位上、同一五年九月二七日正五位下、「日本紀略」寛平三年(八九一)四月二八日条に「敢国津大社」として正五位上と進階が記される。「延喜式」神名帳は伊賀国二五社のうち大一座として「敢国神社」と記す。

円錐状の南宮山は神奈備山に比定され、本社の南二〇〇メートルほどのところに磐座の大岩があった。大岩おおいわ古墳と道を隔てる位置で、古墳時代の祭祀用土器が出土し、原始の信仰を物語る。宝暦一二年(一七六二)藤堂元甫の編集した「敢国拾遺」は「巨岩黒岩」について記すが今はなく、敢国神社境内に摂社大岩明神がある。永禄一一年(一五六八)京都吉田神道の吉田兼右は「大石戸ハ根本当国為一宮、諏訪自御勧請此為末社云々」(兼右卿記)と記し、中世に当社が諏訪明神を勧請するまでは大岩明神が一宮の根本であったと説く。

一方、天平二〇年(七四八)一一月一九日付の小治田藤麻呂解(東南院文書)に載る敢朝臣安麻呂は阿拝郡大領であり、貞観八年に阿閇福子が阿閇郡・山田やまだ郡の土地を東大寺に施入しており(「伊賀国阿閇福子施入状」同文書)、天禄二年(九七一)五月二二日付の伊賀国阿拝郡郡司解(同文書)の郡判に名を列する行事・国司代・国目代・小領などはすべて阿閇臣である。このように、古く阿拝郡に強大な力をもっていた敢(阿閇)族の祖先神、「敢国津神」を祀ったのが当社の始まりと思われる(ちなみに北東約一・五キロの御墓山古墳は一族の祖先墓であろう)。のち南宮山を神体とする原始信仰と敢族の祖神が、祭神としては金山比命・少彦名命の神名に表現されるようになったのではなかろうか。当社の祭神についての考え方は、時代により変化がある。

保安二年(一一二一)一二月の伊賀国封米返抄案(根津美術館所蔵文書)に南宮三昧料として封米四石の布施、成恒名封米返抄案(東大寺文書)には南宮御宝前最勝講に稲三〇束の布施が記され、永万元年(一一六五)六月の神祇官諸社諸年貢注文(永万文書)には「南宮社 米五石 贄少々 佐々社」とある。南宮社は当社のことで、下って室町末期頃の「大日本国一宮記」や文亀三年(一五〇三)の「延喜式神名帳頭註」には「敢国神社 号南宮 金山姫命 伊賀国阿閇郡」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「敢国神社」の意味・わかりやすい解説

敢国神社
あえくにじんじゃ

三重県伊賀(いが)市一之宮(いちのみや)に鎮座。敢国津神(あへのくにつかみ)を主祭神とし、少彦名命(すくなひこなのみこと)、金山比咩命(かなやまひめのみこと)を配祀(はいし)する。敢国津神は崇神(すじん)朝の四道将軍の一人で、阿閇臣(あへのおみ)の祖、大彦命(おおひこのみこと)に比定されている。当社の北方には、大彦命の墓と伝えられる三重県下最大の前方後円墳(5世紀初頭)御墓山(みはかやま)古墳(国の史跡)もあり、伊賀国(三重県)阿拝(あへ)郡を根拠地とする古代豪族、阿閇(あへ)(敢(あへ))氏の奉斎した神社であろう。延喜(えんぎ)式内社で、伊賀国一宮。1579年(天正7)と1581年の天正(てんしょう)伊賀の乱(織田信長の伊賀攻略戦)で一時衰退したが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に津(つ)藩主藤堂高虎(とうどうたかとら)によって復興され、伊賀地方の中心神社として繁栄した。1871年(明治4)に国幣中社。例大祭(12月5日)の獅子神楽(ししかぐら)は県の無形民俗文化財。

[渡辺 寛]

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改訂新版 世界大百科事典 「敢国神社」の意味・わかりやすい解説

敢国神社 (あえくにじんじゃ)

三重県伊賀市一之宮に鎮座。敢国津神(あえのくにつかみ)を主神とし,少彦名命,金山毘売命を配祀する。敢国津神は,崇神天皇のときに派遣されたと伝えられる四道将軍の一人で,阿閇臣(あへのおみ),伊賀臣らの祖大彦命のことといい,神社の北約1kmに大彦命の墓と伝承される前方後円墳があり,伊賀国阿閇郡の開拓神であろう。873年(貞観15)正五位下に叙され,延喜の制で国幣の大社,のち伊賀国の一宮とされる。中世,南宮菩薩とよばれ,近世藤堂氏が藩主として入国以来あつく崇敬し,藤堂高虎は1614年(慶長19)に107石余の黒印領を寄進,祭事も復興した。1871年国幣中社となる。例祭12月5日,県無形民俗文化財獅子神楽がある。
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百科事典マイペディア 「敢国神社」の意味・わかりやすい解説

敢国神社【あえくにじんじゃ】

三重県上野市(現・伊賀市)一之宮に鎮座。旧国幣中社。主祭神敢国津神(あえのくにつかみ)は四道将軍の一人大彦命(おおひこのみこと)と同一とされる。延喜式では国幣の大社で伊賀国の一宮。中世は南宮菩薩と称される。例祭12月5日の夜獅子神楽が行われる。

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