文京区(読み)ブンキョウク

デジタル大辞泉 「文京区」の意味・読み・例文・類語

ぶんきょう‐く〔ブンキヤウ‐〕【文京区】

文京

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日本歴史地名大系 「文京区」の解説

文京区
ぶんきようく

面積:一一・三一平方キロ

都の東部、都心のやや北寄りに位置する。北は北区と豊島区、南は千代田区、東は荒川区と台東区、西は豊島区と新宿区に接する。千代田区・新宿区との境を神田川が東へ流れている。武蔵野台地の東端にあたり、西から東へ緩やかに傾斜している。区内で一番西に位置する関口せきぐち台地が標高約三〇メートルでもっとも高く、そこから雑司が谷ぞうしがや台地・小日向こびなた台地・白山はくさん台地・本郷台地を経て台東区に達する。これら台地の間にはかつて弦巻つるまき川、小石川(千川)藍染あいそめ川などが流れており、これら諸河川によって各台地は浸食され、起伏に富んだ地形を形づくった。標高二〇―三〇メートルの平坦な台地上には江戸時代に大名屋敷などが建てられ、明治期になるとこの広大な屋敷跡は大学などの教育施設に利用された。道路網は南北路が卓越し、西から順に音羽おとわ(特例都道池袋―音羽線)春日かすが(国道二五四号、特例都道本郷―亀戸線)千川せんかわ(特例都道小石川―西巣鴨線)、白山通(国道一七号、主要地方道白山―祝田―田町線)、本郷通(特例都道本郷―赤羽線、国道一七号)などが区域を縦断し、不忍しのばず(特例都道秋葉原―雑司が谷線)は区域の西部から北部を経て東部へと回るように走っている。当区は昭和二二年(一九四七)に東京都三五区の再編成が行われた際、それまでの本郷区と小石川区が合併して成立した。このとき新区名は区民からも募集したが、小石川区役所職員が提案した文京が、文教地区としての区のイメージをわかりやすく表現しているとして採用された。ちなみに現在区内には東京大学・お茶の水女子大学・東京医科歯科大学・順天堂大学・拓殖大学・拓殖短期大学・中央大学(理工学部)・東洋学園大学(本部)東洋大学・東洋大学短期大学・日本女子大学・跡見学園女子大学短期大学部・東邦音楽短期大学・東洋女子大学短期大学部・文京学院短期大学の大学・短期大学のほか放送大学第二学習センター(旧東京教育大学跡)があり、高等学校は二七校を数える。

〔原始・古代〕

沖積低地上に立地する春日町かすがちよう遺跡で自然貝層の堆積が発見され、採取土壌の分析により、縄文時代前期に始まる海進・海退や、古墳時代以降に本格化する水稲耕作の痕跡が確認されている。洪積台地縁辺部に立地する真砂町まさごちよう遺跡などの旧石器時代の遺跡では、主として剥片石器が出土している。縄文時代では、動坂どうさか遺跡や湯島切通ゆしまきりどおし貝塚などで中期を主体とする遺跡が、千駄木せんだぎ貝塚では住居内埋葬人骨が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文京区」の意味・わかりやすい解説

文京〔区〕
ぶんきょう

東京都 23特別区の一つ。 1947年本郷区と小石川区が合併して成立。武蔵野台地の東端に位置し,本郷台などの台地と,茗荷谷などの谷底低地とからなる。地名は,明治以来文教地区として発展してきたことによる。古くから住宅地であったが,小石川地区は印刷,製本業で知られる。江戸時代は大名屋敷が多く,現在その跡は東京大学,お茶の水女子大学などの文教施設,六義園 (特別名勝) や小石川後楽園 (特別史跡,特別名勝) ,小石川植物園などの公園になっている。そのほか史跡に弥生二丁目遺跡 (→弥生町貝塚 ) ,湯島聖堂,大塚先儒墓所,高島秋帆の墓がある。また,永青文庫は太刀,鞍など国宝8点を所蔵,東洋文庫は国宝の書物5点を所蔵する。小石川後楽園の隣には全天候型スタジアムの東京ドームがある。東京地下鉄丸ノ内線,千代田線,有楽町線,南北線,都営地下鉄三田線,大江戸線,国道 17号線,254号線,首都高速道路5号池袋線が通り,護国寺インターチェンジがある。面積 11.29km2。人口 24万69(2020)。

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