文和(読み)ぶんな

精選版 日本国語大辞典 「文和」の意味・読み・例文・類語

ぶんな ブンワ【文和】

南北朝時代北朝後光厳天皇の代の年号。観応三年(一三五二)九月二七日に改元、文和五年(一三五六)三月二八日に次の延文となる。出典は「呉志‐孫権伝」の「文和於内、武信於外」。

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デジタル大辞泉 「文和」の意味・読み・例文・類語

ぶんな〔ブンワ〕【文和】

南北朝時代、北朝後光厳天皇の時の年号。1352年9月27日~1356年3月28日。ぶんわ。

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日本の元号がわかる事典 「文和」の解説

ぶんな【文和】

日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1352年から1356年まで、後光厳(ごこうごん)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は観応(かんのう)。次元号は延文(えんぶん)。1352年(観応3)9月27日改元。後光厳天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『旧唐書(くとうじょ)』『三国志(さんごくし)』『呉志』を出典とする命名。文和年間の南朝の天皇は後村上(ごむらかみ)天皇。南朝では正平(しょうへい)(1346~1370年)の元号を使用した。同年間の室町幕府の将軍は足利尊氏(たかうじ)(初代)。観応の擾乱最中の1351年(観応2/正平6)、足利尊氏は苦境打開のため南朝に帰順して、分裂していた皇統が一時的に南朝に統一された(正平一統)。その翌年、南朝が鎌倉とともに京都に侵攻し、在京の足利義詮(よしあきら)(尊氏嫡男、後の第2代将軍)を近江国に追ったことから、「正平一統」は破綻する。その後まもなく京都は北朝方に奪還されたが、南朝方は撤退の際、北朝の光厳(こうごん)上皇光明(こうみょう)上皇・崇光(すこう)上皇(正平一統にともない天皇位を廃された)らを吉野に連行した。このため幕府は、後光厳天皇を新帝に擁立して北朝の再建をはかる。後光厳天皇は1352年(文和1/正平8)8月17日に即位した。◇「ぶんわ」とも読む。

ぶんわ【文和】

⇒文和(ぶんな)

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