斎藤 利行(読み)サイトウ トシユキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「斎藤 利行」の解説

斎藤 利行
サイトウ トシユキ


肩書
参議

旧名・旧姓
別名=渡辺 弥久馬

生年月日
文政5年1月11日(1822年)

出生地
土佐国(高知県)

経歴
初め渡辺弥久馬と称す。13代土佐藩主山内豊熈の御側物頭となる。おこぜ組の一人として活躍するが反対党のため失脚、その後吉田東洋の抜擢をうけ、豊熈夫人智鏡院の御用役に新おこぜ組の一人として務める。安政の初め近習目付となり、同3年頃藩の銃隊を組織するにあたり、その操練教授となり、後、仕置役に昇進。慶応3年7月長崎における英国水兵殺害事件に際し、後藤象二郎と共に談判委員として活躍。維新後斎藤利行と改名し、新政府に仕える。明治3年2月刑部大輔、5月参議となり、4年2月新律綱領撰修の功を賞され、8年7月元老院議官となった。

没年月日
明治14年5月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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