斎藤 悠輔(読み)サイトウ ユウスケ

20世紀日本人名事典 「斎藤 悠輔」の解説

斎藤 悠輔
サイトウ ユウスケ

大正・昭和期の弁護士 元・最高裁判事。



生年
明治25(1892)年5月21日

没年
昭和56(1981)年3月26日

出生地
山形県

学歴〔年〕
東京帝大法学部独法科〔大正6年〕卒

経歴
司法省調査課長、高知地裁所長、大審院判事、広島、大阪各控訴院検事長を歴任後、昭和22年最高裁判事に任命され、37年に退官した。最高裁判事時代の25年10月、刑法200条(尊属殺重罰規定)をめぐる大法廷判決の中で、重罰規定を違憲とする真野毅判事と激論を交わしたことで、有名。このほか最高裁では、三鷹事件チャタレイ事件砂川事件、八海事件などの裁判にかかわっている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「斎藤 悠輔」の解説

斎藤 悠輔 (さいとう ゆうすけ)

生年月日:1892年5月21日
大正時代;昭和時代裁判官。最高裁判事
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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