斯波義将(しばよしまさ)(読み)しばよしまさ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

斯波義将(しばよしまさ)
しばよしまさ
(1350―1410)

南北朝~室町初期の管領(かんれい)。名前の訓は正しくは「よしゆき」。治部大輔(じぶのたいふ)、左衛門佐(さえもんのすけ)、右衛門督(うえもんのかみ)。法号道将(どうしょう)、別号雪渓(せっけい)。高経(たかつね)の四男。1362年(正平17・貞治1)13歳で父高経の後見により幕府執事(しつじ)となり、また越中(えっちゅう)守護となる。66年高経とともに越前(えちぜん)に逃れ、翌年高経の病没により許されて越中守護に復し、桃井(もものい)氏追討に功あり、79年(天授5・康暦1)管領細川頼之(ほそかわよりゆき)排斥の中心となり、かわって将軍義満(よしみつ)から管領に任ぜられ、越前守護に移る。義満を助けて、洛中(らくちゅう)支配の充実、僧禄(そうろく)の任命による禅宗統制の間接化などを実施した。91年(元中8・明徳2)管領を辞したが翌々年再任、98年(応永5)まで在任。その後も管領となった子義教(よしのり)(初め義重(よししげ))を後見し、1409年(応永16)短期間ながら三たび管領となる。謹厳な性格で、幕府第一の宿老としてしばしば穏当な意見を述べ、幕府政治の安定に貢献した。義満の没後朝廷が義満に贈ろうとした太上(だいじょう)天皇追号を、義持(よしもち)に辞退させたことなどが知られる。また斯波氏が越前、尾張(おわり)、遠江(とおとうみ)3国の守護となる基を開いた。禅宗に帰依(きえ)し、歌道、古典に精進して教養を積んだ。ただし子弟教訓書『竹馬抄(ちくばしょう)』は義将に仮託したものとみられる。応永(おうえい)17年5月7日没。

小川 信]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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