新田邦光(読み)にった・くにてる

朝日日本歴史人物事典 「新田邦光」の解説

新田邦光

没年:明治35.11.25(1902)
生年:文政12.12.5(1829.12.30)
幕末明治期の神道家,神道修成派の教祖阿波国(徳島県)美馬郡生まれ。先祖新田(脇屋)義助と伝えられる。幼時よりきわめて聡明であり,7歳で論語を読んだという伝えがある。「我国は神国たり,民は神孫たり」との考えを抱き,神道を盛んにして人民を教導しようという志を立てる。明治1(1868)年に神祇官御用掛となるが,同年,飛騨国(岐阜県)取り締まりに当たった際,一時忍藩に幽閉され,以後,宗教活動に専念。同5年に教導職。翌年8月,門人を集めて神儒習合の修成講社を組織。同9年には,これが神道修成派として一派独立,その初代管長に就任した。<著作>『教道大意』『回天策用行録』『軍備将略』<参考文献>井上順孝『教派神道形成

(井上順孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新田邦光」の解説

新田邦光 にった-くにてる

1829-1902 明治時代の神道家。
文政12年12月5日生まれ。もと阿波(あわ)徳島藩士。はじめ竹沢寛三郎と称した。明治元年神祇官(じんぎかん)御用掛となる。6年神儒二道を折衷して神道修成講社を結成,9年独立をゆるされ神道修成派初代管長となった。明治35年11月25日死去。74歳。著作に「教道大意」「回天策用行録」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新田邦光」の意味・わかりやすい解説

新田邦光
にったくにみつ

[生]文政12(1829).12.5. 阿波
[没]1902.11.25. 東京
神道修成派の教祖。竹沢平太郎の3男,初め竹沢寛三郎と称した。国学,神道,兵学を学び幕末には勤王志士として活躍。 1873年教導職大講義となり,修成講社を結成。 76年神道修成派として独立し,初代管長となった。著書神道大意』。

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