日本製鉄(読み)にほんせいてつ

改訂新版 世界大百科事典 「日本製鉄」の意味・わかりやすい解説

日本製鉄[株] (にほんせいてつ)

1933年(昭和8)3月に成立した日本製鉄株式会社法に基づき,翌34年1月に設立された半官半民の一大製鉄会社。正しくは〈にっぽんせいてつ〉と読む。略称日鉄。製鉄合同問題は1920年代初頭以来の鉄鋼政策上の最大の懸案であり,とくに昭和恐慌下には臨時産業審議会の答申(1931年11月)に基づき具体的な合同法案立案まで行われたが,実現をみるに至らなかった。しかし,満州事変以降,鉄鋼業の軍事的重要性が増大し,1932年5月成立した斎藤実内閣(中島久万吉商工大臣,高橋是清大蔵大臣)のもとで急速に製鉄合同法案が作成された(翌1933年2月議会上程,3月可決成立)。政府は当初官営の八幡製鉄所を中心とし,民間鉄鋼会社を結集する一大官民製鉄合同(1所11社案)を構想したが,日本製鉄所法案成立時にはすでに鉄鋼業は活況局面に入っており,日本鋼管をはじめとする製鋼企業(平炉圧延メーカー)は合同に気乗り薄となっていた。とくに日鉄設立過程における資産評価問題の紛糾により,比較的成績良好な製鋼企業は合同不参加となり,結局民間会社の合同参加は三井・三菱財閥系製銑企業3社(釜石,輪西と朝鮮兼二浦の各製鉄所)と成績不良な製鋼企業2社(九州製鋼,富士製鋼)の計5社にとどまった(1934年3月東洋製鉄が参加し1所6社となる)。それでも日本鉄鋼業の生産能力における日鉄の占める比率銑鉄97%,粗鋼58%と高く,資本金約3億6000万円(うち政府出資78%)という一大鉄鋼国策会社である。以後,政府は日鉄の設備拡充を中心に鉄鋼増産計画を推進し,日中戦争以降の戦時鉄鋼国策においても日鉄は中心的役割を果たした。第2次大戦後の1950年,日鉄は過度経済力集中排除法に基づき,八幡製鉄富士製鉄(この2社は1970年3月合併して新日本製鉄になった),日鉄汽船,播磨耐火煉瓦の4社に分割された。
鉄鋼業
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本製鉄」の意味・わかりやすい解説

日本製鉄
にほんせいてつ

1934年(昭和9)、前年成立した日本(にっぽん)製鉄株式会社法に基づき製鉄大合同によって設立された。正式には「にっぽんせいてつ」と読む。合同に参加したのは官営八幡(やはた)製鉄所(1901年操業開始)と、輪西(わにし)製鉄、釜石(かまいし)鉱山(製鉄部門)、富士製鋼、三菱(みつびし)製鉄、九州製鋼の民間5社であった。設立時資本金は3億4594万円。1934年中に東洋製鉄、1936年に大阪製鉄を合併。1934年の生産シェアは銑鉄で96%、鋼塊で52%に達した。第二次世界大戦の戦災で生産設備に大打撃を受けたが、鉄鋼、石炭の傾斜生産方式がとられるなかで1947年(昭和22)に鉄鋼生産を再開。しかし、占領政策による企業再建整備法および過度経済力集中排除法によって、1950年に八幡製鉄、富士製鉄、日鉄汽船、播磨(はりま)耐火煉瓦(れんが)の4社に分割された。その後、八幡製鉄と富士製鉄はともに世界的な鉄鋼会社に成長したが、国際競争力を強化するため1970年に合併し、新日本製鉄が新発足した。

[橘川武郎]

『日本製鉄株式会社史編集委員会編・刊『日本製鉄株式会社史』(1959)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本製鉄」の意味・わかりやすい解説

日本製鉄
にほんせいてつ

1934年日本製鉄株式会社法に基づき官営八幡製鉄所 (1901創業) ,輪西製鉄 (09創業) ,釜石鉱山,三菱製鉄,九州製鋼,富士製鋼の1所5社が合併して設立された半官半民の製鉄会社。さらに同年東洋製鉄,36年大阪製鉄をも合併吸収したが,その生産高をみると設立時ですでに銑鉄 186万t (朝鮮を含む全国生産高の 95.7%) ,鋼塊 201万t (同 51.5%) ,鋼材 145万t (同 43.8%) を占めた。 39年広畑製鉄所開設,以後戦時体制下における軍需資材供給会社として大きな役割を占めたが,第2次世界大戦後,過度経済力集中排除法 (47) に基づき2社以上に分割するよう指令を受け,50年八幡製鉄 (→八幡製鉄所 ) ,富士製鉄,日鉄汽船,播磨耐火煉瓦の4社に分割された。 (→新日本製鐵 )  

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世界大百科事典(旧版)内の日本製鉄の言及

【新日本製鉄[株]】より

…なお,鋼材以外に海外の製鉄所建設,海洋開発関連建設などのエンジニアリング事業の有力企業でもある。 新日本製鉄という名称には新しい〈日本製鉄〉という意味がこめられている。八幡製鉄と富士製鉄は戦前は半官半民の日本製鉄という同じ会社であったが,1950年に〈企業再建整備法〉によって分割され,それが20年後にふたたび合併したからである。…

【鉄鋼業】より

…臨時産業審議会答申(1930年11月)を受けた合同案も政府部内における不一致により頓挫し,昭和恐慌下にはむしろ各種鉄鋼カルテルの結成と活動が本格化した。 合同問題が新展開をみせたのは,31年9月満州事変,12月金本位制離脱などにより日本鉄鋼業をとりまく環境が大きく変化してからであり,32年6月銑鉄関税の大幅引上げが実現したのち,製鉄合同案が再度作成され,33年3月日本製鉄株式会社法として成立した(翌1934年1月日本製鉄株式会社設立)。日本製鉄(略称,日鉄)は,官営八幡製鉄所を中心とし,三井・三菱財閥系製銑企業をはじめとする民間鉄鋼企業を結集して成立した半官半民の一大鉄鋼トラストであり,日本鉄鋼業の全生産能力に占める日本製鉄1社の比率は銑鉄97%,粗鋼58%ときわめて高い(後者の比率が相対的に低いのは日本鋼管をはじめとする製鋼企業が資産評価問題などを理由に合同不参加となったためである)。…

※「日本製鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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