日産自動車[株](読み)にっさんじどうしゃ

百科事典マイペディアの解説

日産自動車[株]【にっさんじどうしゃ】

国内2位の自動車メーカーで,販売台数世界6位(2005年度)。1933年自動車製造として創立,翌年現社名改称。1966年プリンス自動車工業を合併。繊維機械,宇宙航空機器なども生産する。1968年富士重工業(小型乗用車,軽自動車が主力)と業務提携し,傘下(さんか)に愛知機械工業(エンジン),日産車体(小型乗用車)などの車体,部品関係諸会社をもつ。米国フォード・モーター社,ドイツのフォルクスワーゲン社と提携し,米国,英国で現地生産。しかし,1990年代に入り不況が続いたことと新車の開発に失敗したことで経営が悪化。1999年仏ルノーとの資本提携を決定して,再建に取り組み,10月には4工場の閉鎖,グループ従業員2万1000人の削減などを含む〈日産リバイバルプラン〉を発表,合理化・再建を進め,ゴーン社長のもとで2001年度末には目標を達成,過去最高の営業利益をあげた。本社東京,工場横須賀市追浜(おっぱま)ほか。2008年の世界同時不況と円高の直撃を受けて,2009年3月期は売上げ大幅減,当期純利益マイナス2337億円を計上した。2009年12月期販売台数351万台,2011年3月期は,売上高8兆7730億円,当期純利益3192億円と改善された。売上構成(%)は,自動車事業94,販売金融事業6。海外売上比率79%。
→関連項目鮎川義介ダットサン日産コンツェルン

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世界大百科事典 第2版の解説

にっさんじどうしゃ【日産自動車[株]】

日本で第2位の自動車メーカー。1933年に日本産業()(1928設立)と戸畑鋳物(株)(1910設立)の共同出資により自動車製造(株)として,ダットサン車の製造などを目的に設立された。34年に社名を日産自動車(株)と改称,35年から当時としては画期的な大量生産方式を導入し,本格生産を開始した。第2次大戦中は自動車生産を縮小させる一方で航空機エンジンの生産を始め,44年には社名を日産重工業(株)に変更した。

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世界大百科事典内の日産自動車[株]の言及

【合併】より

…第2次大戦後の合併のなかで大きな関心を集めたのは,1965‐70年前後の大型合併である。1964年の三菱三重工の合併(三菱重工業が発足),大阪商船と三井船舶の合併(対等合併で大阪商船三井船舶が発足),65年の神戸製鋼所と尼崎製鉄の合併(神戸製鋼所が存続),66年の東洋紡績と呉羽紡績の合併(東洋紡績が存続),67年の日産自動車とプリンス自動車の合併(日産自動車が存続),70年の八幡製鉄と富士製鉄の合併(対等合併で新日本製鉄が発足)などである。とくに八幡,富士の二大製鉄所の合併は,1968年4月の両社の合併の決意表明以降,実業界や通産省の賛成論と経済学者の反対論が激しく対立し,活発な議論が行われた。…

【自動車産業】より

…さらに軍用規格車の生産に関しては,このわずかの需要を,ダット自動車製造,石川島自動車製作所(1929年東京石川島造船所より分離),東京瓦斯電気工業(1910設立)の自動車部の3社が分け合っていることに問題があるとして,東京自動車工業(いすゞ自動車の前身)が37年に設立され,同社に上記3社が合併する形で合同した。一方,日産コンツェルンでは戸畑鋳物と日本産業との共同出資によりダットサンの製造営業権を継承して1933年自動車製造を設立,34年に日産自動車と改称した。また豊田自動織機製作所では1933年自動車部を設立し,37年にトヨタ自動車工業(現,トヨタ自動車)として独立させた。…

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