早池峰山(読み)はやちねさん

精選版 日本国語大辞典 「早池峰山」の意味・読み・例文・類語

はやちね‐さん【早池峰山】

岩手県中東部にある山。北上高地の最高残丘。山頂部には特別天然記念物ハヤチネウスユキソウ、ナンブトラノオなどの高山植物が多く、高山植物の草本帯はかなり標高の低い所にまで達している。標高一九一七メートル。古来、山岳信仰の対象として尊崇されている。

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デジタル大辞泉 「早池峰山」の意味・読み・例文・類語

はやちね‐さん【早池峰山】

岩手県中央部、北上高地の最高峰。標高1917メートル。蛇紋岩からなり、高山植物帯は特別天然記念物。山頂に早池峰神社奥宮があり、神楽が行われる。

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日本歴史地名大系 「早池峰山」の解説

早池峰山
はやちねさん

北上高地のほぼ中央部にそびえ、標高一九一三・六メートルは同高地の最高峰。遠野市稗貫ひえぬき大迫おおはさま町・下閉伊しもへい川井かわい村にまたがり、西になか(一六七九・一メートル)鶏頭けいとう(一四四五・一メートル)毛無けなし(一四二七・二メートル)、東に早池峰剣はやちねけんヶ峰(一八二七メートル)高檜たかび(一一六七・一メートル)が連なり、南は小田おだ越を挟んで薬師やくし(一六四四・九メートル)に接する。同山の南方には遠野盆地が広がるが、「遠野物語」や「遠野物語拾遺」にも早池峰山のことが多く記され、後者には「狩人の話では早池峰山の主は、三面大黒といって、三面一本脚の怪物だという」とある。古来山岳信仰の対象として内外の尊崇を受け、岩手山・姫神ひめかみ山とともに岩手三山の一つに数えられ、石上いしがみ山・六角牛ろつこうし山とともに遠野三山の一つにもあげられる。

山名は祈願すれば清水が湧出するという意味から早池の泉と名付けられた山頂の霊池に由来するという。延享二年(一七四五)頃の「閉伊郡遠野東岳開基」などによれば、古くはあずま岳・東子あずまね(東根岳とも)などとよばれ、中世頃から早池峰と称されたという。山体は蛇紋岩・橄欖岩などからなる堅牢残丘で山頂には巨岩が露出する。早池峰連峰の北側は緩斜面が広がるのに対し、南側は急斜面で西流するたけ川と東流する薬師川の谷に落ちる。

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改訂新版 世界大百科事典 「早池峰山」の意味・わかりやすい解説

早池峰山 (はやちねさん)

岩手県のほぼ中央部,北上高地南部にある山。標高1917m。北上高地の最高峰で花巻市,遠野市,宮古市にまたがる早池峰国定公園の中心地でもある。山体は蛇紋岩からなる堅牢な残丘で,山頂には巨岩が露出する。主峰をはさんで東に剣ヶ峰(1827m),西に中岳(1679m),鶏頭山(1445m),毛無森(1427m)がほぼ東西に連なる。南斜面の標高1300m付近までは,ナンブトラノオ,ハヤチネウスユキソウなどの高山植物群落が広がり,北斜面には閉伊(へい)川沿いの低地林から始まって山頂部のハイマツ帯に至る整然とした樹林の垂直分布が見られ,これらは早池峰高山植物帯として特別天然記念物に指定されている。西側山麓の花巻市大迫町内川目の岳(たけ)に早池峰神社,山頂にはその奥宮がある。神社に奉納される岳神楽は鎌倉時代から伝わる山伏神楽の源流とされ,同市大迫町大迫の大償(おおつぐない)の大償神楽とともに早池峰神楽として国の重要無形文化財に指定されている。西の大迫口,南の遠野口などから登山路がある。
執筆者:

早池峰山は,柳田国男の《遠野物語》や山麓部の村々に伝えられてきた山伏神楽が世の脚光を浴びるにつれて,広く知られるようになった。《遠野物語》には早池峰の山の神を含めて遠野地方の幻想的世界が描き出されており,山村に住む人々の生活と心を伝えている。そこには早池峰の山の神,人々の異郷観,畏敬の念がみられるが,これらが早池峰山信仰の基盤をなしている。早池峰山への登拝口は東西南北の4ヵ所あり,そのうち遠野市の大出,花巻市大迫町の岳の2ヵ所が中心的役割を果たした。近世期にはそれぞれに新山宮(里宮)と別当寺妙泉寺があり,そのため両者は長年にわたって本坊争いを続けてきたが,岳が優勢であったといえよう。このほか遠野来内の藤蔵という猟師が熊を追って早池峰に入ると金色の権現が現れたという狩猟型の開山伝承,岳神楽,大償神楽に代表される山麓部の芸能,それを伝えてきた修験などが注目されるもので,より原初的な山岳信仰が保持されてきたところにこの山の大きな特色がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「早池峰山」の意味・わかりやすい解説

早池峰山【はやちねさん】

岩手県中部,北上高地中央部の山。標高1917mで同高地の最高峰。隆起準平原上の残丘とみられ,北上高地を南北に2分する早池峰構造帯が走る。山頂から東に三陸海岸,西に奥羽山脈が望まれ,6合目から山頂にかけてハヤチネウスユキソウ等の高山帯・森林植物群落(特別天然記念物)がある。古来,山岳信仰の対象で,岩手三山の一つとされた。《遠野物語》にも多く登場する。登山口の花巻市早池峰神社には岳神楽が伝わる。1982年国定公園に指定。
→関連項目大迫[町]日本百名山

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「早池峰山」の意味・わかりやすい解説

早池峰山
はやちねさん

岩手県中央部にそびえる北上高地(きたかみこうち)の最高峰。標高1917メートル。花巻市(はなまきし)、宮古市(みやこし)、遠野市(とおのし)にまたがる。中岳(なかだけ)、鶏頭(けいとう)山、毛無森(けなしもり)などからなる早池峰連峰の主峰でもある。

 山体は蛇紋岩からなる堅牢(けんろう)残丘で、山頂は巨岩が露出、南面は急峻(きゅうしゅん)な古生層が重畳し、その間に高山植物の草本帯が広がる。主峰と中岳間の尾根筋、南斜面の標高約1300メートルまでの裸岩地帯にはナンブトラノオ、ハヤチネウスユキソウなどの乾性高山植物群落がある。北斜面は閉伊川沿いの低地林から始まるブナ帯、アオモリトドマツ帯、ハイマツ帯、草本帯と典型的な垂直分布を示している。高山植物は約250種、面積1315ヘクタールの高山植物帯は、特別天然記念物に指定されている。山麓(さんろく)の花巻市大迫町内川目(うちかわめ)の岳(たけ)には早池峰神社、山頂には806年(大同1)草創と伝えられる奥宮があり、神社に奉納される早池峰神楽(かぐら)は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。登山路は大迫口、門馬(もんま)口、遠野口の三つのコースがある。

[金野靜一]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「早池峰山」の意味・わかりやすい解説

早池峰山
はやちねさん

岩手県中部,北上高地のほぼ中央にある山。標高 1917m。遠野市花巻市宮古市の境界に位置する。北上高地の最高峰で北上高地隆起準平原の残丘。山体は早池峰岩体と呼ばれる蛇紋岩,その他の超塩基性岩類からなり,巨岩が露出。山頂一帯は「早池峰山および薬師岳の高山帯・森林植物群落」として国の特別天然記念物に指定。特にハヤチネウスユキソウは有名。早池峰山を中心に早池峰国定公園に指定されている。

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事典 日本の地域遺産 「早池峰山」の解説

早池峰山

(岩手県花巻市;岩手県遠野市;岩手県宮古市)
日本山岳遺産」指定の地域遺産(2011(平成23)年度)。
早池峰山(標高1917m)は岩手県の中央部に位置する山。日本を代表する蛇紋岩の山のひとつで、ハヤチネウスユキソウなど固有種希少種の植物が多い。〔支援団体〕早池峰にゴミは似合わない実行委員会。〔活動内容〕避難小屋からのし尿の担ぎ下ろしと携帯トイレの普及啓発活動

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事典・日本の観光資源 「早池峰山」の解説

早池峰山

(岩手県)
日本百名山」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の早池峰山の言及

【学校】より

…キリシタン学校では神学のほか,哲学,論理学,さらに天文学,数学,医学などの初歩も教えられていたと推測されており,半世紀余りの期間ではあったが,日本の文化に大きな影響を与えた。
[幕藩体制下の学校]
 天下統一を果たした徳川家康は学問を重視し,藤原惺窩(せいか)門下の林羅山を登用した。彼は朱子学の立場から儒学の基本である修身・斉家に始まる治国・平天下を説いて幕藩体制の理論的基礎を提供し,1630年(寛永7)には,幕府から与えられた江戸上野の忍岡の土地に塾を開き,幕府の最高学府となる昌平黌(昌平坂学問所)の基礎をつくった。…

【寛永諸家系図伝】より

…清和源氏・藤原氏・平氏・諸氏の4類,および医者・同朋・茶道に分け収録。1641年2月7日に太田資宗が諸家の系図を編修し差し上ぐべき旨の上意をうけ,同人が総裁,林羅山・鵞峰が編集責任者となり事業を推進,43年9月17日に両本都合372巻が献上された。献上の仮名本(続群書類従完成会より活字本刊行中)は内閣文庫に,真名本(重要文化財)は日光東照宮に所蔵されている。…

【玉露叢】より

…著者不詳。林羅山あるいは林鵞峰著とする説があるが,確かではない。1674年(延宝2)の自序によれば,著者若年よりの見聞を得るにしたがって,日次記(ひなみき)のように書きつけたという。…

【儒家神道】より

…江戸時代は儒教が社会の中心思想として流行した時代であるが,日本固有の神道思想に関心を抱き,神儒関係について儒教の立場から独自の見解を発表した儒学者が少なくなかった(神儒一致論)。近世儒学の創始者林羅山は日本の神社制度について《本朝神社考》《神社考詳節》(ともに1645)などを著し神社信仰にまつわる怪異妄信を批判是正し,《神道伝授》を著して若狭国主酒井忠勝に授与した。彼が一派の神道を樹立しようとしていたことがわかる。…

【神儒一致論】より

…ここではとくに儒家神道における神儒一致論の展開について説明したい。近世儒学の祖と言われる林羅山は《本朝神社考》《神社考詳節》などを著し,また若狭国主酒井忠勝のため《神道伝授》を著し,神道を理気陰陽の儒教理論で説明し,一家の神道説を提唱しようとした。その子鵞峰は《本朝通鑑》を著し,神代史の合理的叙述に努めた。…

【日本国王】より

…朝鮮側では,徳川将軍を足利将軍同様に日本国王と称したが,中国皇帝から正式に国王に冊封されていない将軍は〈日本国源秀忠〉のような従来どおりの称号で対応した。このため文書の書式をめぐって混乱があったが,林羅山の案に従って,朝鮮側では将軍を〈日本国大君〉と称し,将軍は〈日本国源某〉と書くことにきまった。ただ一度新井白石のとき〈日本国王〉号が復されたが,以後はまた大君にもどされた。…

【本朝神社考】より

林羅山著。近世初期における神社研究書。…

【本朝通鑑】より

…神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。…

【道】より

…〈仁・義・礼・智・信之五ツノ道ハ,常ニシテカハラヌゾ。人ト云モノダニアラバ,天地開闢(かいびやく)ヨリ以来(このかた),末代ニイタルマデニ,此道ノカハルコトハアルマヒホドニ,常ト云ゾ〉(林羅山《春鑑抄》)という言明は,この時期の事態をよく示している。ここでの強調点は,道は普遍永遠であることを説くことにあるが,その説き方の質が普遍的なものの存在を基盤において思想を成立させている朱子学的なものへの驚きを反映している。…

【林家】より

…〈はやしけ〉の音読による呼称で,江戸時代,林羅山を初代として幕府の教学に関与すること12代に及んだ家。1607年(慶長12)羅山が徳川家康に登用され,諸法度の起草,外交文書の起案など枢機に参与し,側近者的役割を果たし,秀忠,家光にも出仕し,その忍岡(しのぶがおか)の家塾は幕府の学問所的役割を担い,江戸の漢学興隆の基を開いた。…

【老子】より

… なお日本では,早く聖徳太子の《三経義疏(さんぎようぎしよ)》中に《老子》の引用が見られるが,その思想に対する理解共感が深まりをみせるのは,鎌倉室町期の禅文化の隆盛が,禅思想と親近な老荘思想普及の契機をなしてからである。江戸時代には,当初《老子》を儒家的立場で解釈した宋の林希逸の注に基づく研究が林羅山らによって行われたが,やがて徂徠学派,折衷学派による文献学的研究が主流となり,その原義の追究に多大な成果が挙げられた。老荘思想【麦谷 邦夫】。…

※「早池峰山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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